ディバインアクセラレーション創始者の杉浦優司です。
このブログは、私の目覚めの奇跡が綴られたブログです。

2007年導かれるようにこのブログを始めました。
そして、たくさんの導きの中で、「今ここ」の本質とそこから広がる意識の本質を知る事が出来ました。

このブログでは、2007年から2013年にかけて、私が体験した旅、叡智、ハート、マカバ(ライトボディ)、そして全てなるものへと通ずる真なる自分への目覚めに関する情報を中心に綴られています。
幸せ体質
 ゴールデンウイーク中にふと浮かんだ言葉が「幸せ体質」です。それは、どんな時でも「幸せ」を感じられる体質です。例えば、道で転んだとしても、「ありがとう。」と心のそこから自然に言えるようなら幸せ体質であるといえます。

 理由は何でも構いません。例えば、怪我をしなかったこと。誰にも迷惑を掛けなくて済んだ事。怪我したとしても、たいした事無かったこと。はたまた、ちょっとした経験を積まさせてもらえた事。とにかく、普通ならネガティブに思えることに対してポジティブに置き換えることが出来たら、人生は常にハッピーに感じられるようになります。

 仮に、今はそうでなくても、そうなりたいと願うのであれば、誰でも体質改善することが出来ます。ポイントは、まず、自分自身の感情を常に客観的に捉えることです。そして、ネガティブに考え始めたら、それをポジティブに思える理由を考えます。とにかく最初はこじつけでも良いので、自分が「良かった。」と思える理由を探し、それを心の中で唱えます。そして、そのことに対し、「ありがとう。」と声に出して言います。

 感謝は心がこもって初めて言霊としての力を発揮します。だから、常に気持ちを切り替え、自然と感謝できる状況に置き換えることが肝要です。

 最初はぎこち無いと思いますが、慣れるに従い、条件反射的に気持ちを切り替える事ができるようになります。そして、ネガティブに考える事が不自然に思えてきます。なぜならば、この世界が実はとっても愛に満ちていることに気が付けるようになるからです。

 体質改善ですから、数日くらいで変わることは難しいでしょう。ですから、コツコツと続けてみてください。幸せは周りから(新たに)与えられるものでは無く、既に常に身の回りにある事に気づき、感じることですから。



 幸せを例えるならば、常にあなたの背後に控えているつつましくも偉大な存在と言えよう。
 前だけを見て、勇んで探そうとするものにとって、幸せは常に夢幻のように感じられる事だろう。
 
 心からリラックスし、自らに与えられている全てに対し、いとおしく感じられる者にとって、幸せは常に身近な存在である。
 幸せは追いかけるものでは無く、既に存在しているものなのだから。

 それは、あなたの背後で常に微笑を浮かべ待っている。
 決して、自らの存在をアピールしようとはせず、ただあなたが気づくのを待ち続けている。

 だから、あなたの周りを見つめて見なさい。
 だから、あなたの内面を見つめて見なさい。

 そこに在るのは何ですか?
 あなたが今存在していることは当たり前の事ですか?

 そこに奇跡を見出せたなら、
 幸せはいつもあなたと共にいるのです。

 
 
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| ゆうじ | 幸せ | 00:54 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
幸せ体質2
 違う内容を書くつもりでしたが、必要を感じるので、昨日とは別の角度から「幸せ体質」について述べてみたいと思います。

 しばしば、「私には・・・無いから幸せになれない。」とか、「・・・があれば幸せになれるのに・・・。」という言葉を耳にします。でも、本当にそうでしょうか?

 たいてい、人は、自分に無い者に目が行きがちですが、自分の持っているものに対しては、あまり注意を払わないように感じます。例えば、言葉を話したり、食事をする事ができる口。映像を見たり、情報を得ることができる目。
ものを掴んだり、字を書いたりすることが出来る腕や手。自由に歩くことができる足。大きかったり、小さかったり、細かったり、太かったり、少し歪だったりしたとしても、本来の機能が果たせるのならば、それは素晴らしいことです。

 「そんなの当たり前だよ。」という声が聞こえて来そうですが、この当たり前の事を当たり前でなく、素晴らしい事と捉えられるのが「幸せ体質」です。

 私は今から20年ほど前に盲腸で10日間ほど入院したことがありました。その時は数日間でしたが、麻酔の影響で半身動かすことできず、自由な移動が制限されていました。また、手術の影響で、笑うと激痛が走り、笑うことが出来ませんでした。その時、気づいたのは、「当たり前と思える事が実は素晴らしい事だ。」という事です。

 どんなにがんばって寝ようとしても、丸二日寝る事はできません。忙しすぎるのは大変ですが、何もやれず時間をもてあますほど苦痛な事は無いと感じました。そう考えてみると、病気は辛いものですが、前向きに捉えるならば、病気から学ぶ事もたくさんあります。もしかしたら、その「素晴らしいこと」を学ぶために、病気という経験が用意されているのかもしれません。

 物もそうです。身の回りを見渡してみると、実に様々な物に囲まれていることに気づかれると思います。そして、今あなたが生活している場所も、当たり前のように思えて、実は当たり前でない素晴らしいものの一つです。その素晴らしさに気づかない内は、どれだけ物を増やしても同じ事の繰り返しが待っており、いつまでたっても幸せにはなれません。

 つまり、あなたは既に幸せであり、これからも幸せなのです。そんなあなたの気づきを加速させる方法をご紹介させて頂きます。

 まず、あなた自身の体の頭に意識を持ち、それがもしも無かったらどうだろうと想像します。それは、深刻に考える必要は無く、直感的に、無かったらどうなるだろう?と考えてみます。そして、それが必要と感じられたならば、素直に今それが自分に与えられていることに対し、感謝します。必要ないのに感謝する必要はありません。でも、それが必要であり、無いと困るのであれば、自然と感謝の気持ちが湧いてくるはずです。(<例>、良かった、・・・があって、ありがとう。(^^))

 次に眉毛、目、鼻・・・というように、気づいた順に続けてゆきます。どうでしょうか?必要なものばかりではないでしょうか?

 自分自身が済んだら、今度は身の回りにあるものに対し同じように取り組んでみます。例えば、愛用のコップであったり、携帯電話であったりです。そして、ものだけでなく、大切な家族の一人一人や、友達にも焦点を当ててみます。

 当たり前の事が当たり前でなく、素晴らしい事だと認識できた途端、如何に自分が幸せ者か理解できるのでは無いでしょうか?ここで大切なのは、決して人と比べないことです。環境も異なれば、学びの進みも今生での課題も異なる方々と比べることは無意味であり、それはあなたの幸せとは何ら関係無いからです。なぜなら、幸せとは、他人に決めてもらうものでは無く、あなた自身が気づきを通して感じとるものだからです。

 もう一つ大切なポイントは、裕福な経験を積む事と、幸せを感じることは別物という事です。あなたが裕福な体験を積みたいのであれば、それを目指すのは意味のあることです。でも、貧乏な経験を積みたいと願うのであれば、その体験からも幸せを感じ取ることができます。本来人生は、どのような経験でも摘める様になっており、それは、各々の魂の課題(宿命)により異なります。そして、同時に、どのような境遇であっても、幸せを感じる取る事が出来るようになっています。
 

 この世の全ては波動であり、
 あなた方自身も波動からなります。
 それは同時に、あなた方自身が常に(意識的・無意識的に)波動を感じていることを意味しています。

 幸せとは、感謝に代表されるような、愛で満たされている波動を感じ取れている状態を示します。
 そして、そのようになるのは、あなたがどのような環境であっても可能です。

 幸せになるのに、「・・・があれば・・・」とか、「・・・がいれば・・・」のような条件は必要ありません。
 それは、経験であり、事象の変化でありますが、どのような波動を感じ取れるかどうかは、あなた方次第です。

 同じ経験であっても、波動の捉え方は魂ごとにマチマチです。
 それは、ある者は常に幸せを感じ、あるものはその反対の感情を抱くことを意味しています。

 どちらを取るかはあなた方一人一人の選択です。

 どちらも正しいです。
 それすらも、あなた方の学びの一つです。



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| ゆうじ | 幸せ | 01:04 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
幸せはいつも"今"この瞬間にあるという事
 今日、街の街路樹を見て気づいた事がありました。それは、緑がとても濃くなった事です。何気なくしていると、"当たり前"として通り過ぎていってしまいますが、"今"というこの瞬間に意識を置く事ようにすると、"当たり前"であった事が"当たり前"でなくなってきます。過去も未来も意識せず、ただ、その瞬間の目に入るもの、そして自分の周りにある、あらゆる存在に意識を置く事により、世界はいつも新鮮で刺激的で、祝福に満ちたものである事が理解できるようになります。

 それは、この世界に生きている事を最大限に意識する事でもあります。幸せを追い求める多くの方は、常に幸せをここでは無いどこかに求めます。ここでは無いどこかは、今ではなく、常に未来(もしくは過去)になります。でも、それは決して手に入れる事はできません。なぜならば、私達が認識できるのは、"今"というこの瞬間だけだからです。つまり、"幸せは今この瞬間にある"と気づいた時、人は幸せになる事ができます。

 でもそれは、簡単なようで難しい事のようです。なぜかといえば、人は常に誰かと比べる事により、自分の立ち位置を決める事に慣れきってしまっているからです。比べる事により、幸せという概念を作り上げています。でも、幸せと言う見えない何かを外に求めていても、結局先ほどの話のように捕まえる事はできません。そして、比べるのを止め、全ては自分の内に最初から備わっている事に気づく必要があります。

 今日はここまでにします。この話は、また角度を変えてお贈りして行きたいと思います。

 大地を踏みしめ、あなたが歩く。
 てくてくてくと、あなたが歩く。

 あなたの足元に幸せがあり、
 あなたの足跡が幸せの軌跡。

 それに気づいているあなたは幸せ者。
 それに気づかぬあなたは幸せの追っかけ人。

 あなたの本質は凄い人。
 本当のあなたは何でもできる。
 
 気づいていないのはあなただけかも。
 気づいて欲しいな、あなた自身に。


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| ゆうじ | 幸せ | 16:11 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
幸せの定義
 お金持ちになる事や、スターになる事は簡単なことでは無く、誰にでも直ぐなれるというものでは無いですが、幸せになる事は実はとても簡単な事です。なぜならば、幸せは何かを手にする事では無く、既にそうである事に気づくだけでいいからです。ですから、誰でも、どんな状態であっても、幸せになる事はできます。

 では、幸せの定義とはなんでしょうか?これには諸説あり、どれもが正しく、どれもが絶対ではないと思いますが、私が考える幸せとは、"心が満たされ、心の奥の方から喜びや感謝が溢れてくる状態"であると思っています。ここで大切なポイントは、心の奥の方から溢れてくる事です。それは、外に求めるだけでは得られません。心を満たそうと、それを外の物に求めてみても、一時は満たされた気になるかもしれませんが、溢れてこない限りは、そのうちに物足りなくなり、また別の物を求めがちです。

 では、どうすれば良いでしょうか?これには色々な方法がありますが、(その内の一つとして、)
1.まずは、外に求める事を止める事が大切です。そして、"今この一瞬"に意識を置くようにします。
2.次に、"今この一瞬の自分の感情"に注意を向けます。この時、自分がどのように感じているのかを、頭(マインド)で考えるのでは無く、心(ハート)で捉えるようにします。それは、全ての感情を否定せずに、ありのままの"今この一瞬"の自分を受け入れる事でもあります。
3.もしも、その感情がネガティブなものであれば、そのネガティブな感情を自分の心の奥から優しい気持ちが溢れる事をイメージし、優しく包み込み、ただ抱きしめます。そして十分抱きしめたら、優しい気持ちで包みこんだネガティブな気持ちを天にお任せするつもりで手放します。
4.それは一瞬で済む場合もあるし、何週間も掛かる場合もあります。でも、そのような事を繰り返していると、しだいに、ポジティブな思いを感じるようになってきます。もしかしたら、それは何らかの希望なのかもしれません。そのような、心の内から溢れてきたポジティブな思いは、ただ抱きしめ、その感覚を味わいます。そして、もしもそのポジティブな思いが、何か行動を起こしたいという衝動と共に現れたのならば、(それが実行可能ならば、)できる限り素直に実行します。
5.そのようなポジティブな衝動に素直に行動するとき、人は"心が満たされ、心の奥の方から喜びや感謝が溢れてくる状態"です。すなわち、幸せの時です。何も無理する事はありません。ただ、自分の心の内から溢れてくるポジティブな衝動と共に行動をすればいいのです。それは自然な欲求であり、喜びの欲求でもあります。そして、その衝動が自分では無い誰かのためである時、あなたの心は自分が必要とする以上のエネルギーで満たされ、溢れています。

 決して、誰かのために無理に何かをする必要はありません。自分自身が満たされれば、自然と周りにも優しくなれます。それは自然であり、ワクワクする事でもあります。

 つまり、視点を変え、それを実践すれば誰でも"幸せ"になれると言えます。
 この続きはまた次の機会にお送りしたいと思います。

 あなたの心に眠る秘密の泉。
 そこで戯れる喜びの精霊たち。

 幸せ探しに夢中なあなたは、
 いつも遠く遠くに求め続ける。

 そんなに遠くに行かなくても、
 そんなに無理をしなくても。

 自然で良いのに、
 ここにいるのに。

 あなたの言葉は魔法の呪文。
 気づいた瞬間に解かれる封印。

 喜びで満たしましょう。
 感謝と共に。

 届けましょう。
 溢れる思いを。


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| ゆうじ | 幸せ | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
幸せ力 前編
 先日、お贈りした"幸せの定義"は、心の奥の方から幸せを感じる方法でした。今日はそれとは別の角度から幸せになる方法をお伝えしたい思います。
 私たちは、日々生活を送っているわけですが、その際、頭(マインド)は常にその体験を幸せと不幸せとに分類しています。とにかく頭(マインド)は分類が大好きです。そして、たいていの人は、そのような自らが作り上げた世界(信念体系)の中で生活しています。以前、"幸せ体質"、"幸せ体質2"でもお贈りした通り、同じ体験をしても、人によってその感じ方は様々です。
 人によっては、まるで幸せになるのを拒むが如く、幸せの敷居を高くしています。人によっては、今こうしてここにいられるだけで幸せと思えるほど、幸せの敷居を低くしています。ここまで話を聞いて、勘の良い方はお気づきだと思いますが、この幸せの敷居をいかに低くするかが、毎日を幸せと感じる秘訣です。
 面白い事に、頭で考える幸せの敷居は、ちょっとした事で変える事が可能です。そして、その敷居を変えてゆくと、思い出の中の幸せ・不幸せ分類も変わってきます。つまり、今この瞬間が幸せだと思い出すと、過去の同じ状態も幸せであったと思えるようになるのです。
 宇宙的視野に立つと、生きていく上での経験に"良い"も"悪い"も無く、また"幸せ"も"不幸せ"もありません。ただ、人が勝手にそれを都合の良いように分類しているだけです。仮に、経験を幸せに分類する力を幸せ力という言うのであれば、どんな経験も"幸せ"に分類できる方は幸せ力が高く、どんな経験も"不幸せ"に分類しがちな方は、幸せ力が低いと言えます。そして、この幸せ力を高める事で、日々を幸せに生きる事ができるようになります。では、どうすれば良いでしょうか?
〜後編につづく〜

 あなた方が、その視点を引き上げ、
 あなた方の思考がこの3次元社会のあり方を決めている事に気づかれるならば、
 あなた方のリアリティーのあり方を自らの思いにより修正できる事に気づかれるでしょう。

 それは、あなた方の生き様全てに反映され、
 あなた方の立ち位置を決めてゆく事になります。。

 同時に、あなた方がその視点を引き上げるのであれば、
 この世界において、(良き経験と良くない経験などのように、)分けるべき経験など存在せず、
 全てが素晴らしき経験であるという事に気づかれるでしょう。

 天はあなた方のスピリチュアルな成長を望んでいます。
 その視点で眺めるのであれば、不幸せは試練であり、あなた方にとって必要なものと言えます。

 さらに心を拡げるのであれば、それすらあなた方の本質が望み、
 生まれる前から用意していたものである事に気づかれるでしょう。

 乗り越えられない試練などありません。
 ただし、その思い描く結果はあなたがたの自我の描いたものとは異なるかもしれません。

 迷ったのならば、心の奥に問いかけ、静かに待ちなさい。
 その問いが適切ならば、適切な形で答えが現れる事でしょう。


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| ゆうじ | 幸せ | 23:58 | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |
幸せ力 後編
前編からの続き〜
1.まず始めに、人と比べるのを止める事が必要です。たぶん、これが一番難しいと思いますが、幸せの基準を自分の外に置いてしまうと、いつまでたっても、自分がその基準に達っしていない気がしてしまうものです。また、比べる相手(基準)によって、幸せと不幸せの間をすぐに揺れ動いてしまいます。幸せの基準を自分の中に取り戻すだけで、幸せ力はずいぶんと高まったと言えます。

2.次にどんな時に自分が幸せと思うのか書き出してみます。例えば、おいしいものを食べている時とか、好きな音楽を聴いている時など、とにかく思いつく限り、書き出してみます。どうでしょうか?書き出してみると思っていた以上に幸せである事に気がつきませんか?

3.次に、どんな時に自分が不幸せと思うのか書き出してみます。どうでしょうか?やはりたくさんありましたか?

4.そうしたら、ここからが佳境です。その不幸せと思える事を自分自身の試練と置き換えます。そして、この試練から自分が何を学んでいるのか?もしくは、学ぼうとしているのか?どうすれば、この試練を乗り越えられるのか考えてみます。例えば、苦手な上司がいるとします。何故苦手と感じるのでしょうか?その苦手な上司から自分は何を学んでいるのでしょうか?自分がどのように成長すればその苦手さを乗り越えられるでしょうか?

5.ここでのポイントは、自分が普段行っている分類において、不幸せを全て試練に置き換えてしまう事です。実は不幸せというのはとても都合の良い言い訳の口実です。そして、人はいかに自分が不幸せであるかと思うことにより自分自身を悲劇のヒーローorヒロインにしがちです。でも、試練に置き換える事により、それらは全て自分を高めるための課題になります。そのように考えてゆくとだんだん頭(マインド)は前向きに考えるようになってきます。

 試練は乗り越えるためにあり、乗り越えた試練は幸せに変わって行きます。また、それは同時に、過去の不幸せが幸せに変わる事でもあります。慣れない内は、難しいかもしれませんが、次第に自分の中の幸せの敷居が低くなるのを実感できるようになります。まだまだ、言葉足らずではありますが、今日はここまでとさせて頂きます。
 ここに訪れて頂いた皆さんの幸せ力が高まる事を祈っています。

 幸せと不幸せは視点の持ち方で変わる。
 あなた方の思っている"幸せと不幸せ"は、あなたが方一人一人異なる。
 
 それは、あなた方の持つ信念体系により形作られ、
 あなた方の生活の全てで機能している。

 あなた方が、今とは異なる視点を持つ事ができたのならば、
 "幸せと不幸せ"が幻想である事に気づけるであろう。

 天の思いを知る事は、天の視点を知る事である。
 それは、天の流れを知り、囚われの無い毎日を送る事でもある。

 天はあなた方の幸せを願っている。
 されどその幸せはあなた方の思う幸せとは異なる。

 その差異が時にあなた方を苦しめるかも知れぬ。
 されど、その目を開くのであれば、それすらも優しさの中にあると気づくであろう。



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| ゆうじ | 幸せ | 18:30 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
日々を充実した毎日にするためのコツ
 日々充実した毎日を送るためには、気持ちと行動が一致している必要があります。「やりたく無い事」を「嫌々やる」事は心身にストレスを掛け、逆に、「楽しい事」を「積極的にやる」事は、心身を開放し、充実したエネルギーで満たします。今、前者の状態にいる方々にとって、後者の状態は「特別な事」のように映るかもしれません。でも、ほんのちょっとしたコツをつかむ事で、そのような状況に身を置く事が可能になります。

 そのポイントは、ズバリ、「思いと行動を一致させる」事となります。つまり、自分の思いと行動がずれると、そのずれた分がストレスとなります。そして、そのために必要なのは、まず日々の生活の中で、心地よく感じていなくても付き合いで行動していた事を止める事と言えます。例えば、「ただ、付き合いで、ストレスを感じながらも○○さんと△△で昼食をした。」なんて事は無いでしょうか?仕事上の付き合いでどうしてもという事はあるでしょうが、断れる場面でも断らないとすれば、そこには、何らかの恐れがあることになります。それは、その友達と(思っている)関係を失うかもしれないという怖れであったり、良く見せたい、または悪いように思われたくないという恐れかもしれません。

 上記はほんの一例ですが、それ以外にも、ストレスを感じながらも、付き合いで行動している事が多々ありませんか?それは、日々の中で当たり前のように繰り返されているのではないでしょうか。

 では、どのようにすれば改善できるのでしょうか? それには、常に、自分の気持ちをモニタリングする必要があります。自分が心地よく感じているのか? それとも、ストレスを感じながらその場にいるのか?それが明確になれば、次の行動に移る勇気を手にする事ができます。その勇気は、思い切って、「そのストレスを手放す」=「その場を離れる」勇気です。その場を離れるのは勇気のいる事です。でも、本当はそれで失うものなどありません。それは、あなたの心が一番良く知っています。そして、手放す事により、次のステップを手にする事ができます。

 世の中、「捨てる神あれば、拾う神あり。」です。自分にとって不快と感じる状況を怖れず手放す事により、次の状況がやってきます。その状況が不快ならまた手放し、心地よければキープします。それ以上でも、それ以下でもありません。「この状況を手放したら、もうこれ以上のものはやってこない。」と思う事は幻想です。そして、その状況は、スピリチュアルな成長度合いで変化してゆきます。

 チャンスがやって来る為のスペースが用意されていれば、チャンスは何度でも巡って来てくれます。あなたには、チャンスを受け入れる準備ができていますか?Yesなら、それだけで充実な毎日でしょう。Noであっても嘆く事はありません。ただ、自分の周りの不快と感じるものを勇気を持って、手放して行けば良いのです。そして、常に思いと行動を一致させる努力をする事です。それだけで、日々のあり方が変わってきます。それは、今この瞬間から始まります。


 怖れは、あなた方の生活のあらゆる所で顔を覗かせています。
 それは、あなた方の判断を鈍らせ、本来取るべきでない行動を選択するよう仕向けます。

 この世界において、本来失うものなど何も無く、
 ただ、その形状の在り方が変化しているだけと言う事に気づけば、
 今感じている恐れが、単なる幻想に過ぎない事が理解できるでしょう。

 あなた方に必要とされているのは、常にあなた方自身が本当に必要としている行動です。
 恐れという幻想を知り、それを手放す勇気が、あなた方の世界を本来あるべき方向へと導きます。

 何も怖れる事など無いという事を、本当のあなた(真我)は知っています。
 ただ、ハートの奥深いところの思いに従い行動すれば良いのです。

 されど、自我は怖れるのを常としています。
 だから、心の奥深いところの叡知を感じる事が重要です。
 
 それは、暗闇に迷い込もうとする自我を、 
 再び日の当る世界へと引き戻すでしょう。

 あなた方の勇気ある選択が、恐れを乗り越えたとき、
 世界は、あなた方を祝福で満たします。
 

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| ゆうじ | 幸せ | 19:57 | comments(7) | trackbacks(0) | pookmark |
日々を充実した毎日にするためのコツ その2
 昨日の記事では、「日々を充実した毎日にするためのコツ」として、自分の感覚にしたがって、行動の取捨選択する重要性を説明しました。自分の感覚に合わないものは執着せず、思い切って手放す事で、自分の感覚に沿って生きることが可能になってきます。

 でも、この世の中でストレスを感じながら生きている方々の中には、「やりたくは無いけど、私がやらなければ・・・。」と頑張っていらっしゃる方も多いと思います。そのような場合は、手放せるものから手放してゆくべきですが、全てそのようにできるわけでないのも確かです。という事で、今日は、そのような方々のために、昨日とは違った視点で、「日々を充実した毎日にするためのコツ」をお贈りしたいと思います。

 では、どうすれば良いのでしょうか?もしも、本当にそこから離れられないのであれば、そのやりたくなかった事を、やりたい事に変えていくしかありません。そのためには、まず、何故自分がその事をやりたくないのか書き出してみます。たぶん、ネガティブな思いがたくさん出てくると思います。次に、そのようなネガティブな思いを自分の試練に置き換え、この行動を通して、試練を乗り越えたとき、どのようなポジティブな経験が得られるか書き出してみます。

 ネガティブな思いと、ポジティブな思いは常に一対でやってきます。同じような経験を通じて、人はネガティブさとポジティブさを選択しています。試練は、そのような両者の選択を迫る場です。それは、まるでコインの裏表のようになっていて、まずネガティブな面が見えています。そして、その試練から逃げる事無く取り組むと、そのコインをひっくり返すが如く、ポジティブな面を見ることができるようになります。

 例えば、嫌いな上司と同じプロジェクトメンバーになったとします。それは、一見ネガティブな要素ですが、見方を変えれば自分自身を成長させるチャンスでもあります。それには、自分自身を深く見つめ、嫌いな上司から、自分の持つネガティブさを捉え(抽出し)、理解し、それを克服するというように試練を乗り越える必要がありますが、そのように捉えなおす事ができれば、多くの有意義な経験を積む事ができます。

 人生は思っているより短いです。だから、本来「(直感的に、)やりたく無い事とやる必要の無い事。」を無理してやるよりも、「ワクワクする事」、「愛を感じる事」を積極的にやるようにした方が、ポジティブな経験が多く積め、充実した人生を送る事ができます。でも、自分を鍛えるため、または、ネガティブさの理解を深めるために、あえてそのような(ネガティブな)試練を選択するのも有意義な人生です。どちらも、私たち一人一人の選択です。

 だから、「やらないといけない」と感じたのであれば、思い切って、やってみるのも一つです。先のように紙に書く事により、自分の目指すものが明確になってきます。そこにポジティブさを見出せれば、それは、それでとても意味のある重要な事に変わります。

 究極に言えば、この世界の経験で無意味なものなど何もありません。ただ、どのような経験を積みたいかの「思いと選択」の結果が、今のあなたそのものであり、これからの「思いと選択」が未来へと繋がっています。誰のせいでも無く、あなた自身が決めていることを自覚するのであれば、どのような選択をするかの大切さが理解できるかと思います。


 人生の責任をとるという事は、
 自分の選択に責任を持つという事である。

 どのような事情があるにせよ、
 その選択は常にあなた方一人一人により成されている。

 その結果を謙虚に受け止めるのであれば、
 次の選択の意味合いも変わってくるであろう。

 あなたの人生であるからこそ、
 あなた以外の者に選択する権利を譲る事に慎重になって欲しい。

 この世界に必要とされていない者などいない。
 同時に、この世界に無駄なものなど無い。

 全ては完璧であり、
 全ては祝福に満ちている。
 
 理解しがたいのは、その視点なり。
 
 自我の学びとは、
 自我の視点を知り、同時に自我の視点を越える事なり



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| ゆうじ | 幸せ | 19:59 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
不幸と幸福はコインの裏表の如し
 ネガティブとポジティブは、コインの裏表のような関係でいつも一対で来ると、昨日の記事で書きましたが、今日は、その点についてもう少し詳しくお伝えしたいと思います。

 私たちは、日常の中で様々な体験をしています。例えば、朝起きて、朝食を食べ、会社や学校へ行く。会社や学校へ行けば、いつもの日常が待っている事でしょう。そしてそんな日常の中でも、色々なハプニングがあると思います。そのような起きる全ては、コインのようなもので、それ自体には、ポジティブな面もネガティブな面も両方含んでいます。

 具体的な例を挙げるとすれば、「通勤にて、道が混んでいて、いつもより遅れてしまい、一本遅い電車に乗らなければならなくなった。でもその電車に乗った事により、知り合うはずもないと思われる素敵な異性と知り合いになれた。会社には間に合いそうも無いと思われたが、いつも必ず足止めされる信号が全て青で、ギリギリ間に合った。でも少々急いだので、次の日は筋肉痛だった。」という事があったとします。ここでの事実一つ一つがコインだとすれば、それに付随する感情はコインの裏表であると言えます。ネガティブな考え方が好きな方は、ひたすらネガティブな面を見ようとします。逆にポジティブな考え方が好きな方はひたすらポジティブな面を見ようとします。そして、多くの方は、その時々の流れの中で、ネガティブ面を見たり、ポジティブ面を見たりしているように感じます。

 繰り返し強調しますが、事実は何も変わっていません、ただ経験として存在しています。ただそれを受け取る側が、良い・悪いを決めています。その基準は生きてきた中で培われてきた個人個人の信念体系に基づいています。だから、日頃「不幸」と感じている方は、自らが「不幸」に感じる信念体系を作り出し、その中で生きており、日頃「幸福」と感じている方は、自らが「幸福」と感じる信念体系の中で生きていると言えます。

 さらに、巷でも話題の「引き寄せの法則」により、不幸な方はより不幸を、幸福な方はより幸福を引き寄せています。結局、どちらも自らの選択の結果です。そして、この「不幸」も「幸福」も自分自身が決めていることさえ理解されるならば、「不幸」を「幸福」に変えることも可能という事が分かります。

 ところで、私自身は、最近はスーパーポジティブと言われるようになりました。それは、ネガティブもポジティブも通り越して、ただ、コインそのもの(=その経験そのもの)を楽しむようにしているからだと思います。人がなんと言おうと関係ありません。素直に学び、素直に体験してゆくと、そこには感謝あるのみです。そのような思いを、このブログを通して、また実際にお会いする中で皆さんと分かちあって行ければと願っています。
 

 人は、しばし「不幸」を嘆き、「幸福」を羨む。
 されど、「不幸」と「幸福」を作り出しているメカニズムに気づくのであれば、
 その嘆きは、自らの選択と行動にある事を知るであろう。

 誰もが、同様に「幸福」になれるし、「不幸」にもなれる。
 されど、学びと経験が異なれば、その生活状況は異なる。
 
 必要とする学びと経験も、それぞれに異なる事を知るのであれば、
 周りと比較する無意味さを知るであろう。
 
 羨むのであれば、自らの中に眠る宝を思い出すが良い。
 それは、あなたの中であなたの訪れを待っている。

 それは、純然たる事実としてそこにあり、あなたを新たな世界へと導いてくれるだろう。
 ただし、それすらも「幸福」、[不幸」とは無縁なる事に気づくが良い。
 


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| ゆうじ | 幸せ | 11:42 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
幸せになる勇気
 最近、色々な場面で思う事に、幸せになるには、"幸せになる勇気"が必要だという事があります。勇気を広辞苑で引くと、「いさましい意気。物に恐れない気概」とありますが、幸せになるには、この幸せになることを恐れない気概が大切になります。

 例えば、マリッジブルーはその典型的な例ではないでしょうか?「幸せになる。」と分かっていたとしても、本当にそうだろうか?これで良いのだろうか?と自問・自答があるのが人間の常だと思います。それは、「幸せになる」という言葉の裏には、幸せにならない(なれない)かもしれないという可能性が秘められているからかもしれません。そして、その決断のために、何かを手放す事を要求されたとき、後戻りできない事により、幸せか不幸せのどちらしか存在しないように思われ、不幸せになるかもしれないという恐れが表面化してくるのだと思います。
 では、この事を天の視点で見るとどうなるでしょうか?決断のために、何かを手放す事を要求されるときは、新たな経験をするという事を意味します。どんな経験であっても、天から見れば幸せも不幸せもありません。ただ、必要に応じてそのような経験が用意され与えられます。そして、その根底にあるのは、経験を通しての学びです。
 天の流れに乗っているとき、その学びはスムーズであり、調和の中にあります。それは、満たされているという感覚をもたらし、結果として幸せと感じる可能性が高くなります。逆に、天の流れに逆らっていると、その学びには障害が多く、不協和音が常となり、満たされないという感覚をもたらし、結果として不幸せと感じる可能性が高くなります。

 人は霊性に目覚めるに従い、内なる声や見えない導きを意識するようになります。それでも、その声や導きに従う事は勇気のいる事です。「絶対に幸せと感じられるような素晴らしい経験が積める。」と確信しているような事であっても、人生に変化をもたらすような(後戻りのできない)決断が必要になる場合は躊躇するものだと思います。実のところ、これは今の私自身の状況を端的に示しています。(マリッジブルーとは無関係ですが、人生における大きな変化・決断を前にしています。)

 人生において、究極の視点から見れば、どのような決断も善い、もしくはもっと善いであり、悪い事は何もありません。ただ、自分自身がどれだけ自分の人生を(生まれる前の約束どおり)生きるかを試されているだけであり、全ての経験はそれ相応に与えられるものです。

 最後に自分自身に対し、語りかけるようにまとめるのであれば、
「恐れが目の前に立ちはだかっているのであれば、その恐れに真摯に向き合うべきである。そして、それがどこから来て、何を示唆しているのか感じ取るべきである(大きいように見えて、実は些細な事かもしれない)。そして、10年後の自分をイメージした時、どの決断が一番自分の経験値高める事ができるか感じ取るべきである。その時感じた気持ちが、今進むべき道である。」
となります。

 曲がりの無い道の無いように、
 恐れの無い人生も無い。

 されど、前向きに捉えるのならば、
 それは、人生を見つめなおすチャンスなり。

 単調ならざる人生のために、
 この世界にはたくさんの試練とギフトが用意されている。
 
 カーブを楽しむかのように、
 恐れさえも楽しむ事できるならば、
 
 より深みのある経験を味わう事ができるであろう。


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