ディバインアクセラレーション創始者の杉浦優司です。
このブログは、私の目覚めの奇跡が綴られたブログです。

2007年導かれるようにこのブログを始めました。
そして、たくさんの導きの中で、「今ここ」の本質とそこから広がる意識の本質を知る事が出来ました。

このブログでは、2007年から2013年にかけて、私が体験した旅、叡智、ハート、マカバ(ライトボディ)、そして全てなるものへと通ずる真なる自分への目覚めに関する情報を中心に綴られています。
スピリチュアルな挨拶周り 予告編
 呼んで頂いているという感覚に従い、今夜から天河神社に行ってきます。天河神社は今例祭の真っ最中で、本当は昨日から参加したかったのですが、仕事の都合で結局明日からの参加となりました。それでも、60年に一度という特別開帳に参加させて頂けると思うとワクワクしてきます。
 その後、やはり直感に従い、高野山と熊野三山をゆっくりと回ってきます。どちらも以前行った事がありますが、今再び、行くことに意義を感じています。それは、一言で言えば、これから始まる新しい旅立ちに向けての挨拶周りのような感覚です。 
 この旅路の模様はまたゆっくりとお贈りしたいと思いますので、今日はこのくらいにして、もうひと準備したら出発します。
 では、また。

 P.S.
 急がないと眠くなりそう・・・``r(^^;)

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| ゆうじ | 旅日記2〜導かれ編〜 | 22:09 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
スピリチュアルな挨拶周り 帰宅報告
 皆さん、少々ご無沙汰です。
 先ほど、天河神社の特別開帳 → 天河神社奥宮訪問 → 高野山 弘法大師空海さんのお廟訪問 → 高野山のお寺&お宝&神社巡り → 熊野三山&神倉山訪問 → 椿大神社訪問 → 帰宅
というルートにて帰ってきました。車中泊を含む4泊5日の旅で、車での移動距離が約900キロでした。
 今回は、以前にましてシンクロを強く感じる旅となりました。あまり時計も日程も意識していませんでしたが、結果的に全てパーフェクトに進んでいたように感じます。色々な場面で予期せぬ不思議体験と、メッセージを頂く事ができ、とても貴重な体験をする事ができました。何より、最後の最後で、次のステップへ繋がる(情報が予期せぬ方向から入ってくる)展開となりました。
 詳細は、これから順次アップして行きたいと思いますが、なにぶん、途中全くインターネットに接続できる環境に無く、またPCも触る余裕が無いほど、早寝早起きのアクティブな毎日でしたので、いつになるのだろう?という状況です。と言うわけで、自分自身が忘れる前に何とかして行きたいと思っています。
 まずは、現状報告まで。

 風に聞き、
 石に聞き、
 木々に聞き、
 大地に聞く。

 そこに、波動あり、
 そこに、意識あり、

 それは、人に聞けぬ波動なれど、
 その視点を原子の世界まで広げるならば、
 感じる事もできよう。

 そこに古くて新しい可能性あり。
 ただ、心に響きあうものなり。


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| ゆうじ | 旅日記2〜導かれ編〜 | 22:44 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
スピリチュアルな挨拶周り 天河神社訪問編1
予告編はこちら〜

 本当なら前日の16日夜出発のつもりであったが、仕事の都合上どうしても休めそうに無く、17日夜からの出発なった。まず目指すは天川村に鎮座されている天河神社であった。その後、同じく呼ばれている気がしてならない高野山と熊野三山を回るつもりであった。

 天河神社に行くのはこれで4回目になる。(しっかりと調べてみたところ、)初めて訪れたのは16年前の1992年の8月の事であった。その時は何も感じなかったが、とても居心地の良い境内で(折りたたみのイスが常備されていて、気軽に座ってくつろげるような造りになっているので)、ずいぶんと長い間座っていたのを覚えている。そして、帰ってからまもなく、オリジナル曲が自然と作れるようになっていた。それはリラックスしていると自然と曲が(鼻歌のように)溢れてくる感じであり、ギターを弾いていると、自然とコード進行が決まり、メロディーが決まって行く。当時は学生であり、軽音部に所属していたので、部内でバンドを組みオリジナル曲を中心に演奏を楽しんでいた。(最近は全然演奏しなくなったが、機会があればまた人前で演奏してみたいなと心の片隅で感じている。→ 問題は練習嫌いな事なんだろうな〜。(苦笑))

 次に訪れたのは10年前の1998年の8月であった。その時は、泊り込みで訪れた。滞在中の記憶はほとんど無いが、車だったので、少々離れた洞川地区もかなり散策したように感じている。そして、その年の冬から、(SAJ2級すら合格できず、)全然上手くならないので、やめようとまで思っていたスキーの上達が始まり、それから約5年後に準指導員の資格(SAJ1級の上に位置する資格)を得るまで上達する事ができた。天河神社は芸能の神様と呼ばれているが、私にとって、天河訪問は、いつも何か始まりの年に呼ばれ、自分の中の扉を開けて頂いているようである。

 そして、2008年に入り、ふとしたきっかけで目にした"随(かんながら)神"というブログの中で、天河神社を舞台にした実在の物語を目にし、もしやと思い調べた時に、60年に一度という特別開帳の事を知る事となった。その時、呼ばれていると直感し、7月まで待てずに、とにかく静かな時に、ゆっくりと対面しようと天河神社を訪れたのが3回目であった。その時の様子はこちらに書いた通りである。

 そんな訳で、待ちに待った、特別開帳の日がやってきたのであった。

〜つづく〜

 思いを大切に、
 流れを大切に。

 そこに宿る真実と、
 そこに潜む叡知。
 
 分からぬ事は止める理由にならず。
 分からぬからこそ、確かめに行くべし。

 思いの妙を、
 解き放つべし。



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| ゆうじ | 旅日記2〜導かれ編〜 | 00:50 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
スピリチュアルな挨拶周り 天河神社訪問編2
前回からの続き〜

 仕事が思ったより長引いたのと、直前まで準備する時間があまり取れなかったので、予定より遅くなったものの22時半過ぎには愛知県にあるアパートを出発した。そこから、高速を乗り継ぎ、急ぎ天川村へと車を走らせた。途中、どうしても眠くなり、2時間ほど仮眠をしたものの、朝5時半頃には天河神社の駐車場にたどり着くことができた。

 折りしも、到着した時には激しく雨が降っていた。そんな中でもうひと寝入りし、7時過ぎごろから活動を開始した。社務所は既に空いており、特別開帳の受付を行ってた。そこで、迷わず申し込むと、礼拝所へと階段を上がって行った。雨はまだ激しく降っていたが、気持ちはこれから起こるワクワク感で軽やかであった。

 礼拝所へ上がったのは7時半頃であったが、まだ、それほど人も集まっていなく、ほぼ中央の席に座る事ができた。そこで待つ事約30分、8時になるとおもむろにご開帳の神事が始まった。その神事では、最後の方で、「うぉおーーー」という掛け声を三回上げながら、神様のお入りになっているお堂の扉を開けるのであるが、(その間頭を下に下げているのにも関わらず、)扉が開かれる度に、木漏れ日のように光が差してくるのを感じた。

 そして、特別参拝の前に、神様への奉納演奏が始まった。今回演奏された方は、小倉知香子さんとヘィッキ・マエンパーさんであった。小倉知香子さんは、現れた時から只者では無い雰囲気をお持ちの方で、最初は宮司さんの一人かと思えた。そして、初めて見る大型のハープで「君が代」をはじめ、どこかで耳にした事のある演奏を行った。次に演奏されたヘィッキ・マエンパーさんはムーミンの曲を作られた方で、ニコニコされながら、どこか聞き覚えのあるムーミンメロディーを中心に、シンセ・ギター・小さな琴のような楽器を駆使されて演奏されていた。お2人とも、この天河という場所と同化する様な雰囲気をお持ちであった。

 さてさて、そんなこんなでアッと言う間に一時間半ほどが経過し、いよいよ特別参拝が始まることとなった。その時には礼拝所は既に人で一杯となっていた。初めての参加で段取りが全然分からずにいたが、座っていた位置が中心に近かった事もあり、それほど待たなくて良い位置(といっても30分くらいの待ち時間)に並ぶ事ができた。

 特別参拝では、通常は許されていない、神様のお入りになっているお堂のまん前まで、8人ずつ上がり参拝することができる。お堂は3箇所に分かれていて、一番右側に、今回特別開帳される「日輪大弁財天」さんがお入りになられていた。そして、まずは、一番左側を参拝し、続いて真ん中の参拝を行った。その後で一番右側に移動したのであるが、たまたま、前の方々が名残り惜しかったようで少々参拝が長引いていた関係で、ぽっかりと一番まん前の場所が空き、勧められるがままその場所に座ることになった。その時、「日輪大弁財天」さんの右側から左にかけて、青いフラッシュが光ったのが見えた。当然、そこは撮影禁止エリアであり、だれも写真を取られた雰囲気は無かった。不思議に感じながらも、そこに座り、8人揃って参拝を行った。そして、顔を上げたとき、「日輪大弁財天」さんが"にっこり”と微笑まれるのが見えた。同時に、「再び、繋がった」という思いが喜びと共に湧き上がって来た。(「日輪大弁財天」さんは本当に生きているようであった。)

 特別参拝はこれで終了したが、先ほどの体験が強烈に残り、暫くのんびりしたい気分であった。既に雨は止んでいたので、少々周辺を散歩しようとぐるっと周ると、裏手の集会所のようなところで、龍村仁監督作品の「地球交響曲」の1と2が、それぞれ13時と15時から上映される事が分かった。時計を見ると11時30分くらいで、まだ十分時間があった。どうしようかな〜としばし考えたが、「上映は別にここで無くても見えるからな〜」と思い、今回天河神社の次に気になっていた「龍泉寺」に行くことに決め、洞川地区へと車を走らせることにした。

つづく

 支えあう人、もの、心
 どれもが大切、
 誰もが調和の中にいる。

 だれも大切な存在の一部であり、
 互いの中に生きる術を得ている。

 排除するのでは無く、調和の中に生きていこうよ。
 響きあう思いと共に歩もうよ。
 


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| ゆうじ | 旅日記2〜導かれ編〜 | 01:18 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
スピリチュアルな挨拶周り 天河神社訪問編3
前回からの続き〜

 龍泉寺は天川の洞川地区にあり、伝承によれば 700年頃 役行者が泉を発見し、八大龍王を祀ったのが始まりとされる寺であり、今でも、大峰山に登られる修験者の方々の重要な拠点となっているようである。今回私がこの寺を訪れようと思った理由は、ここ最近強く感じるようになった、龍神の方々との縁(加護)に感謝すると共に、その関係を深めるためであった。

 過去にも一度訪れた事があったが、久しぶりに訪れてみると、寺内にある、水行用の滝や水場(水深10〜20cmくらいのプールのような人工の池)が新鮮であった。水行はしなかったが(するつもりも無いが・・・``r(^^;))、滝の側で瞑想するとさわやかな気持ちに満たされた。

 さて、参拝という目的を果たしたので、のんびりするために、洞川温泉に向かった。同じ天川村といっても、天河神社からずいぶんと離れていており、また平日の昼間という事もあり、温泉を独り占め〜という雰囲気でのんびりと露天風呂を堪能する事ができた。ただ、衛生上、塩素が混ぜられており、「それが無ければ更に良いのに。」というのが、正直な感想であった。

 お湯の中で、思いを巡らせていると、改めて天河神社(弁財天さん)との縁(加護)を強く感じ、感謝に溢れてきた。今までの人生もそうであったが、今後は今まで以上に、そのエネルギーに導かれるようになると感じている。

 ずいぶんのんびりと温泉に入っていたが、それでも、まだ、14時過ぎくらいであった。はてはて、次はどうしようかな〜?と思っていると、先ほどの、天河神社側の集会所のような場所で行われている「地球交響曲」の上映会の事が思い出された。第一話(13:00開始)は既に始まっていたが、第二話(15:00開始)には余裕で間に合いそうである。今夜の宿も18時に行くと連絡してあったので、見終わったとしても時間的に余裕がありそうである。それならという事で、再び天河神社に戻る事にした。

 この「地球交響曲」は初めて見たが、思った以上に叡知溢れる内容であった。それぞれの分野で一流と呼ばれる方々の思いや考え方や経験が、ドキュメンタリー風に描かれていたが、色々な分野で、何かを極めた方々が織り成す言葉は、私自身が去年一年間で学んできた事にも通じていて興味深かった。山に例えるなら、どこから登ったとしても、登りきれば、同じような光景(境地)に出会う事になるのであろう。

 その中でも、特に新鮮に響いてきたのは、世界一の潜水記録を樹立した方の次のような言葉であった。「潜水を行うと、全く音の無い世界になる。でも、その時、聞こえてくる音がある。それは、ウォーという響きなんだ。」また、次のようにも言われていた。「音の一つ一つに意味があるわけじゃない、音と音との間にあるスペースに深い意味があるんだ。」これらは、シンプルではあるけど、とても深遠な意味を持っていると思う。そして、究極の世界を知るがゆえに言葉にできた真理なのだと感じている。同時に、その本当の意味するところは、私たち一人一人が人生を通じて体験して行かなければ体得できないものであると思う。

 言葉で伝える事には限界がある、されど、言葉でなければ伝えられないものがある。だから、言葉そのものに囚われるのでは無く、その言葉の指し示す方向を受け取り、その方向に素直に歩み体験するとき、(その先で待っている、)この世界(もしくは、この世界を超えた世界)の真理に触れる事が可能になってくるのでは?と感じている。
 
 〜つづく

 生まれる前より、
 誰もが、この世界に自分自身のゴールを設定している。

 それは、一つかもしれないし、複数かも知れない。
 
 いずれにしても、そのゴールには、あなたが用意したあなた自身へのギフトが待っている。
 そのギフトには何が入っているだろうか?

 そのギフトを受け取るとき、あなた方は人生の深遠なる学びをクリアしている事だろう。
 その時、あなた方は、その体験より得られた真理を、あなた方自身の言葉で語れるようになるであろう。

 それは、言霊を手にする事である。

 借り物でない、あなた自身が手にした、あなた自身の発する言霊の響き。
 しっかりと味わうが良い。


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| ゆうじ | 旅日記2〜導かれ編〜 | 17:38 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
スピリチュアルな挨拶回り 天河奥の宮編
前回からの続き〜

 2日目の夜(初日は車中泊)は民宿あおばに宿泊した。ここは、天河神社から車で5分ほどのところで、祭りの喧騒からは無縁の場所にある。切り盛りしている主人とおかみさんも気さくな方で、食事もおいしいので、お勧めの宿である。

 さて、3日目の予定をどうしようかと思ったが、2日目と違い天気が良さそうなので、朝から弥山に登り天河神社の奥の宮に行く事にした。何となくこの特別開帳中に行きたかったので、自分の中ではベストなタイミングであった。後は、何時に出発するかだけであったが、(一応、1100mから1895mまで往復約4時間ほどは歩く事になるので、)できるだけ早いタイミングで出発したい思っていた。そんな訳で、最初は6時半からの食事という事になったが、その日の宿泊客の中に、北海道から来られた方々がいらして、その方々が6時には出発するという事だったので、結局5時半からの食事になった。私にとっては、好都合だったので、この巡りあわせに感謝であった。

 天川の朝は涼しい。周りの険しい山々の影響だそうで、夏でも20度以下になることもあるらしい。平地での、早朝から始まる猛暑から考えると、別天地である。朝食を予定通り済ますと、手短に荷物を整えて出発する事にした。まず目指すはR309号を沿いにある行者還トンネル西口である。天川を含め、奈良・和歌山の山道を走った事がある方ならご存知だと思うが、R309も他と同様、舗装はされているが、(時折安全地帯があるものの、)車一台すれ違う事すら困難な険しい道が続く。また、落石の危険のある箇所を越えて行かなければならない。それでも、湧き上がる思いを前にすると、そのような試練も小さく思えてくる。

 私の場合、最近はそのような試練に対しては、"今この一瞬"に集中し、後は天におまかせする事にしている。それは、対向車が来る事を心配するのを止め、ただ今目の前にある現実(運転)に集中するというものである。天には「ベストなタイミングですれ違う事ができるように」お願いしてある。だから、仮にどのような状況であっても、対向車と出会うタイミングは必然であり、ベストなタイミングのはずである。そのように意図した限りは、もはや「こうあればよかったのに・・・」とか、「こうでなくちゃ・・・」というような判断は手放され、ただ感謝あるのみになる。

 そんな訳で、7時前には行者還トンネル西口に到着し、登山を開始した。天気は、曇りであったが、ところどころ青空が見えるような感じであった。登り始めは急斜面が続く、周りは、厚い樹木に覆われていて、その中をひたすらと登ってゆく。前日の雨の影響か、多少ぬかるんではいたが、登るのを妨げる程ではなかった。50分ほど歩き続けると、ようやく奥駆出合につき、大峰山縦走路となる奥駆道と合流した。

 奥駆出合からしばらくは、穏やかなアップダウンが続く快適な道となった。そこから40分ほど歩くと、再び登りのきつい登山道となった。それでも、最初の登り程は急では無く、山頂近くなると、階段も整備されている。奥駆道の特徴らしいが、どこを歩いても、木々が豊富で、木陰の中を歩く感じであった。途中あまり遠くの景色が楽しめないが、その分、身近な自然は満喫できる道が続く。

 登山開始から約2時間、目指す弥山&天河神社奥の宮に到着した。山頂に着いたときには、快晴であり、遠くの山々まで見渡す事ができた。天河神社奥の宮は最近整備されたようで、説明板や、囲い等、ところどころ真新しくなっていた。そこで、祝詞を奏上し、しばし瞑想した。天河神社は世界のへそとも言われているが、その奥の宮に立つことができ、ただ感謝であった。説明版によれば、

「弥山とは、宇宙の中心、万物の根源をなす須弥山の略称であり、役行者が大峰連峰に修験道上を開山。弥山において鎮護国家の神を祈ったところ天降る天女を弁財天と感得せられ、山頂に祀り、これが日本弁財天の初めとされ弥山大神と崇められた。」

とある。標高1895mの高山にあり、容易に近づく事はできないが、それだけに、この地に立つ事により得られる何かがある。それは、遠くは役行者が感じたものであり、今も私たちの訪れを待つ何かであると思われる。

つづく

 続く山々の険しさの中に、
 "全てなるもの”の秘めたる妙を知るなり。

 それは、調和の中にあり、
 何一つ欠けても成り立たない。

 ただ、そこにあり、
 一つなることを知るべし。

 その根底に流れる慈悲なる心に触れるならば、
 押し寄せる衝動は涙となりあなた方を洗い流すかもしれぬ。

 素直に受け取るとは、
 感じた事を感じたままに受け取り、そのジャッジを手放す事なり。



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| ゆうじ | 旅日記2〜導かれ編〜 | 10:34 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
スピリチュアルな挨拶回り 天河奥の宮編2
前回の続き〜

 天候に恵まれた事もあり、弥山山頂は気持ちの良い場所であった。そこで、参拝を済ませた後、しばし近くのベンチで瞑想をした。まだ比較早かったようで、来場者は数人だけであったので、静かにその場の雰囲気を味わう事ができた。

 十分のんびりした後、下山しようと降り始めると、山小屋関係者らしき方達に出会い、その話し声が聞こえてきた。それによると、先週は花目当てに、ずいぶんたくさんの方々がいらしたが、今週はとても静かになったとの事であった。やはり、このタイミングがベストであったようだ。

  山小屋を通り過ぎて、ふと斜め右前を見ると、少し木々が開けている平らな場所があるのが分かった。何となくそこに引き寄せられるように歩いていくと、そこは、とても見晴らしの良い場所であった。そこに座り込むと、しばし、流れる雲をじっと眺めていた。高山と言う事もあり、さほど暑さは感じず、風のおかげで気持ちの良い時空であった。

 そんなこんなで、結局山頂付近で1時間ほど過ごし、下山を開始した。下山を開始すると同時に、先ほどまでのんびり過ごした空き地にヘリコプターが着陸し、作業員らしき方が降りてきた。もう少し、のんびりしていたら、その飛来に驚かされた事だったろう。その後も何度もヘリコプターが往復していたので、このタイミングでの下山も巡り合わせという事が実感できた。

 登るのに2時間ほど要したが、帰りも結局2時間ほど要した。通常はくだりの方が早いと思われるが、特に最後のくだり(最初の登り)は急すぎて、杖を持っていなかったので、登るときと同様慎重に歩まなければ危険な道であった。(もしも、登られる方がいらしたら、登山用の杖の携行をお勧めします。)

 途中何人もの登山客に出会いつつ12時過ぎに行者還り西口の駐車場に到着した。既に駐車場は一杯になっていた。やはり、早起きは三文の徳である。おかげで、静かに自然&自分と向かい合う事ができた。それに、一仕事終えた感じではあるが、まだまだ日は高い。手短に準備を済ませると、今日の宿泊地である高野山に向け出発する事にした。
 ルートは、再びR309を天河神社方面に走る事になる。今度も、来たときと同様、"今この一瞬"に集中して走り出した。おかげでスムーズに進む事ができた。その後は、高野天川線(主要地方道53号線)をひた走った。幅の狭い道は続いたものの、R309よりは遙かに快適な道で、14時過ぎには高野山に到着した。

 思ったより楽に行けたため、到着した時は、一瞬自分が高野山に着いたことが信じられなかった。しかしながら、引き寄せられるように、左手に見えた駐車場に車を止めると、そこは、弘法大師さんの眠る御廟の入り口の一つである、奥の院前であった。


つづく

 風に耳を傾けた事があるだろうか?
 その風はどこから来てどこへ行くだろうか?

 認識できるのは、今この瞬間の変化だけであろう。
 遙か遠くに思いを寄せても、それは、夢の中のきらめきに過ぎない。

 風は善くも悪くも無く。
 ただ、その存在を示している。

 姿は見えずともそこにあり、
 姿は見えずとも、この世界のバランスの中にある。

 だから、ただ感じればよい。
 ただ、その存在の妙と戯れるがよい。 

 それは、心を映し、
 心と共にある事を知ることとなろう。


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| ゆうじ | 旅日記2〜導かれ編〜 | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
スピリチュアルな挨拶回り 高野山編
前回からの続き〜

 高野山奥の院、そこに行かれた方は誰しもがその圧倒的な勢いで迫る石の造形(お墓)に圧倒されるのではないだろうか?そこには、最近のものも多いが、戦国時代に名を馳せた武将達も、敵味方関係なく供養されている。歴史の中で、互いに命がけで戦ってきたのに、今こうして同じ場所に並んでいるのを見ると、やはり、誰もが学びのためにこの世界に生を受け、最後は同じ場所に帰るのだろうな〜と思えて仕方ない。

 また、日本は、その歴史の中で数々の戦乱や戦争(空襲)を体験してきているが、この地を見る限り、だれもこの地を荒らすことが無かったのが、ちょっぴり不思議に思えてくる。これも、根本に立ち返れば、弘法大師空海さんの御威光なんだと思う。

 そんな思いを胸に抱きながら道を進むと、ほどなく御廟橋とその奥の燈籠堂が見えてきた。御廟橋で一礼をしてその奥へと進んで行った。事前にチェックしていなければ、燈籠堂は、弘法大師御廟かなと見間違えるほど立派な建物であるが、実際の弘法大師御廟は、その奥にある。久しぶりに来たので、ほとんど忘れていたが、御廟前に来たときは、はっきり以前訪れた事を思い出した。そして、ここに導かれた事とそのご縁に感謝すると共に、「世界に普く、愛と光の加護があり、私たちが内なる叡知に導かれるように。」と祈願した。

 さて、目的を果たしたので、しばし御廟前(といってもかなり向かって右より)で瞑想をしていると、自分のまん前に、とある団体の方々が集合し、そのガイドの方が御廟の説明をされているのが聞こえてきた。その中で、「弘法大師空海さんは死んだわけでなく、入定(言密教の究極的な修行のひとつ。僧が、生死の境を超え弥勒出世の時まで衆生救済を目的とする。後に、その肉体が即身仏となって現れるのである by ウィキペディア)されたのであって、今も御廟の中で衆生を救うための修行をされていること。そして、その場に一番近い場所が、この燈籠堂の地下にあり、その15m先にその肉体が留め置かれていること。」という趣旨の説明がなされた。そして、「では、その地下にこれから行きましょう。」という事になった。これが聞こえた瞬間「ぴっ」と"導き"である事が分かった。

 もしも、あのガイドの方の説明がなければ、その場所の存在を気づかずに帰ってしまったことだろう。再度、その導きとご縁に感謝しつつ、その団体の後についていった。そこは良く見れば、説明書きらしきものがあったので分からなくも無いが、以前の記憶に無い場所であったので、多分、私にとっては初めての場所であったと思う。そこは、地上の御廟前ほど広くは無いが、静かに弘法大師さんと向かい合える雰囲気を持つ場であった。(感謝&祈願)

 再び、御廟橋で一礼すると、来た道を戻りだした。この後も、ところどころで、タイミングよく色々なガイドの方が説明する所に出くわし、この奥の院全体の理解が深まった。ただ、以前来た時は御廟までの道のりがずいぶんあったような気がしていたが、後で地図を見てみると、以前は一の橋から歩いたのを思い出した。今回は中の橋案内所付近から歩き出したので、距離が短く、奥の院のハイライトを歩んだ感じであった。

つづく

 衆生願えば、我そこにあり。
 何人も、ただ意図するがよい。
 
 共に歩み、
 共に咲かすべし。



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スピリチュアルな挨拶回り 高野山編2
前回からの続き〜

 夕方4時前くらいだったので、奥の院から戻ると、まずは本日の宿泊先である西禅院に向かった。高野山にはたくさんの宿坊があるが、その中の一つであり。壇上伽藍のすぐ側なので、観光するには便利な場所にある(とはいっても、高野山全体が歩けるほどの広さであるので、気持ちの問題なのかもしれぬが・・・。)また、専用の駐車場があるので、マイカーの場合は重宝する。

 標高1000m近いところにあるからだと思われるが、窓を開けていれば、(実際エアコン無しの部屋であったが、)エアコン無しでも何とかなるかなくらいの気温であった。宿坊の夜は早く、確か17時過ぎには夕食であった。宿坊と言えば精進料理。今回、これが食べたくて宿坊宿泊にしたところもあったが、美味しく頂けた。波動の高い場所で、このような食事を取ると、自然と自分自身の波動も上がるのだと思う。そして、それが高野山の魅力の一つになっているのだと感じた。

 ところで、今回ここで話を聞いて納得したが、高野山の辺りを地図で確認すると、街の地名は高野町である。そして、周辺を見渡してみても、"高野山"なる山は存在しない。では、高野山とは何の事であろうか?この答えは、お寺の山号である。広辞苑で調べると次のように書いてある。

「寺院の名に冠する称号。もと、寺院は多く山にあり、その山の名をもって呼ばれた。日本には禅宗と共に中国より山号の制が伝えられ、のち平地の寺院にも波及した。霊亀山(天竜寺)・比叡山(延暦寺)・金竜山(浅草寺)の類。」
とある。だから、弘法大師空海さんを祖とするお寺の山号がそのまま、地名のように使われているのである。

 さて、案内された部屋に入ると、2冊の本が置かれているのに気づいた。一冊は金剛峰寺(朝日ビジュアルシリーズ仏教新発見08)であり、もう一冊は高野山(小学館週刊古寺をゆく)であった。両方とも、まるで"読みなさい"と置かれているようであった。この宿坊のこの部屋に泊まる事が無ければ、決して手にする事が無かったかもしれぬ本である。「今夜の課題かな〜?」と思いつつ、夜やる事も無かったので、寝るまでの間におおよそ読みきった。おかげさまで、高野山と弘法大師空海さんの理解を深める事ができた。また、同時に、私の大好きな名古屋にある大須観音さん(智山派)が、弘法大師空海さんとどのような関係にあるかも理解できた。複雑なのでここでの紹介は割愛するが、今まで曖昧であった色々な繋がりが理解でき、「だから呼んで頂いたんだ!」という事を実感し、ただ感謝であった。

つづく〜 

 縁は光の繋がりであり、
 目には見えぬとも、その繋がりがあればお互いに引き寄せ合う。

 それは、新たに結ばれる事もあり、
 意図的に切られる事もある。

 されど、それはあなた方の世界の法律とは異なる次元の繋がりであり、
 その次元の繋がりを意識せねば、つなげる事はできても切る事は容易ならぬ。

 そこには、常に学びの要素があり、
 互いに磨きあうために繋がりを持つ。

 光の繋がりゆえに、波動が異なれば、その繋がりも変化してゆく。
 精妙なる波動と縁を持ちたければ、自らも精妙なる波動を持つ必要がある。

 波動が異なり過ぎれば、その繋がりを維持する事は容易ならず。
 自らの波動を高める事が求められるのは、より高次の存在との縁を持ちやすくするためなり。

 自らの波動を落とせば、おのずと低次の存在とのコンタクトを増やす事になるであろう。



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| ゆうじ | 旅日記2〜導かれ編〜 | 11:06 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
スピリチュアルな挨拶回り 高野山編3
前回からの続き〜

 宿坊の朝は早い。確か、6時半から朝のおつとめが始まったように思う。お経があげられ、焼香を済ませた後、副住職の方のお話があった。時々講演をされているという副住職さんの話は、示唆に富んでいて面白かった。その中でも興味深かったのは、高野山という場が、長きにわたり、日本の学園都市としての機能を果たし、また上下水道においては、日本の最先端にいたという点である。これは、まさに弘法大師空海さんの精神が長きに渡り受け継がれてきた事を意味しているように思える。今と異なり、中世においては、知識が豊富で、加持祈祷のできる僧侶は政事の世界でも活躍していたと聞く。それは、高野山開山の請願にもあった、「鎮護国家のための人材を育てたい。」という意思の現れであるように思える。

 世界遺産に指定されている高野山であるが、歴史上、フランスを通じてヨーロッパに紹介されたようで、今でも海外のお客さんの中では、フランスからの方々が一番多いそうである。実際、フランスからかどうかは確かめようが無いが、街を散策していると、たくさんの西洋系の方々に出会う。そのような姿を見ていると、高野山は、世界に開かれた日本の聖地なのかな?と感じられてならない。

 副住職さんの話によると、高野山にいると時間の流れる感覚が下界と異なるそうである。そして、そのような感覚が気にいり、リピーターとなられる方々が多々いるという。中には海外から年に何度も訪れるお客さんもいるという。そして、実際そのような現象が、たくさんの学生さんに協力を頂いた実験を通じて、科学的にも証明されつつあるようである。

 さて、そんな高野山を朝食後に散策に出かけた。金剛峰寺→霊宝館→大門と歩いたが、大門の脇に"弁財天"と書かれていた鳥居が目に留まった。今回の旅で弁財天さんとの縁を強く感じるようになっていたので、とりあえず上がってみる事にした。地図を確認せずに登り始めたのが問題であったが、直ぐに社に辿り付けるだろうという考えは甘く、登っても登っても社は見えなかった。それでも急な坂を登る事20分ほど。ようやく目的の社にたどり着く事ができた。結局、社は弁財岳(985m)の山頂にあった。ここには、弘法大師空海さんの用いた宝珠が埋められていると言われてる。

 実際のところ、高野山は密教の一大聖地であるが、神社も相当数ある。私の見たところ、その多くが弁財天と狩場明神と丹生明神であった。いずれも、弘法大師空海さんと深い縁のある存在たちである。そして、弁財天といえば、中国・唐から帰国後、高野山を開く前に天河神社で修行していたと伝えられており、中国・唐から持ち帰った密教の法具"五鈷鈴(ごこれい)"などの遺品が、天河神社に伝わっているという。

 そんな深い縁を感じつつ、感謝と共に、社にて祝詞を奏上し、その場を後にした。来た道を戻るのもつまらないので、帰りは女人堂経由で戻った。予想外に時間を掛けてしまったが、何か充実感を感じていた。その後、手短に壇上伽藍を見学すると、車に戻り、今日のもう一つのハイライトになる、熊野本宮大社を目指す事にした。

〜つづく〜

 来るべき未来に備えるのでは無い。
 今という場から未来を眺め、その方向に向かうのである。

 それは、未来のために生きるので無く、
 今を充実させる方向に未来があるという事である。

 未来は常に未来であり、今は永遠に今である。
 時空は変化しても、その意味するところは変わらない。

 何となれば、
 だれもこの世界において、時空を止める事はできないからである。

 ゆえに、あなた方に固定された未来は存在しない。
 同時に、それはあなた方の心のありようで常に変化し続ける。

 今を輝かせるがゆえに、
 未来も輝きに照らされるのである。
 

 
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