ディバインアクセラレーション創始者の杉浦優司です。
このブログは、私の目覚めの奇跡が綴られたブログです。

2007年導かれるようにこのブログを始めました。
そして、たくさんの導きの中で、「今ここ」の本質とそこから広がる意識の本質を知る事が出来ました。

このブログでは、2007年から2013年にかけて、私が体験した旅、叡智、ハート、マカバ(ライトボディ)、そして全てなるものへと通ずる真なる自分への目覚めに関する情報を中心に綴られています。
怒りも学び
 今日、とある事で同僚と言い争いになり、自分の中で久しぶりに「怒り」の感覚を感じました。でも、今までと違うところは、「何故、怒りを感じているのだろう?」と冷静に分析を試みようとした事でした。
 同僚には同僚の信念があり、私には私の信念がありました。そして、私の怒りの元は、「あなたがこう言ったから、そうしたのに、手のひらを返したような意見はどういう事?」っていうところから来ていました。これは、主体的に見れば正しそうですが、もう一歩自分を客観的に見たとき、他人の意見を(納得の上)自分の意見にまでできていないのに、分かった気になって推し進めていた事が分かりました。
 ここで大切なのは、誰のせいでは無く、どのように答えを導くかでした。その一番大事なポイントを忘れ、安易に同僚の意見を借用したのは、自分の心の甘えでした。そしてそれが自分の弱点でありながら、それを認めたがらない心の反発が「怒り」として表面化したのが分かりました。
 「これも大事な学びなんだ!」と分かると同時に、怒りは乗り越えるべき試練に変わり、そのような憎まれ役になってくれた同僚に感謝の念が湧いてきました。多分、彼女は、誰構わずあのような態度を取り、たくさんの反発をもらっている事でしょう。それはそれで彼女の未来を曇らせ、けっしてプラスには働かないでしょう。それでも、彼女がいたからこそ、今回の学びが得られたと思うと、人生の奥深さを感じました。
 同時に、誰もコントロールする事無く、物事を上手く進めて行くコツが浮かんできました。その一番のエッセンスは「流れを作ること。」これについては、また後日詳しく説明したいと思います。

 学ぼうとする心があれば、
 それはいつでもできます。
 この世に様々な人がいて、
 様々な思いがある限り、
 たくさんの学びを同時に得られます。
 大切なのは、主体的な視点と客観的な視点を同時に持つことです。
 気に食わない人は、あなたの弱点を教えてくれています。
 それを乗り越えたとき、彼らはあなたの意識から消え去る(意識する必要が無くなる)でしょう。


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| ゆうじ | スピリチュアルな視点 | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
観音様は女神様?
 先日、リンクさせていただいているスサナさんのブログを見ていて、日本で親しまれている観音様が海外でも広く親しまれていることを知りました。そこで辞書で「観音」を引いてみたところ、"the Goddess of Mercy"とありました。直訳すると「慈愛の女神」です。
 私にとって、観音様は幼い頃から特別な存在でした。金縛りにあったり、怖い目に会う度に、「延命十句観音経」(http://www.nenjudo.co.jp/page/jukku.html)を唱え、観音様に助けを求めていました。今、改めてその教えを読み返してみると、ようやくその心が感じられるようになってきました。また、名古屋にある大須観音は何度通ってもまた行きたくなる、今でもお気に入りの場所の一つです。
 そして、先日シャスタを訪れた2日目に、とあるプロマイドが目に止りました。その説明には"Quan Yin" とあり、水差しのようなものを左手に持ったアジア系の聖なる女性が竜の上に乗っている姿が描かれていました。それ自身は珍しいものでありませんが、何か惹かれるものがあり、その場で購入を決めました。そして、旅行の間中一緒に行動し、今は普段座る場所の正面に掲げてあります。
 先日それが観音様だと知りました。改めて、観音様を見ると、「いつも一緒。何も心配しなくて良い。ただ心のままに行けば良い。」と語りかけているようでした。本当にありがたい事だと感じています。
 折りしも、シフトにより、世界は男性的な強いエゴとか支配的な力のエネルギーから、女性的な思いやりや母性=無償の愛のエネルギーに変わりつつあるようです。それは、従来の支配的な考えにとらわれている方々にとっては、苦しみをもたらし、手放す方々にとっては安らぎをもたらします。そして、それは私にとっては観音様のエネルギーそのもののような気がしてなりません。ここは、どっぷりとその心に浸りたいと思います。

 安らぎを求める者よ。
 支配する心を解き放つが良い。
 支配しようとするものは、己自信も支配される。
 何となれば、コントロールの手綱を互いに結ぶためである。
 その手綱を手放し、無償の愛を送ることにより相手を許すならば、
 あなた方の元に戻るのは無償の愛だけである。
 あなた方がその愛を受け入れるのならば、
 私は既にあなた方をを受け入れている。

 
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| ゆうじ | スピリチュアルな視点 | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
彼だけが悪いのでしょうか?
 (ファンではありませんが、)最近、某ボクサーが世間からバッシングを受けています。でも、本当に彼だけが悪いのでしょうか?
 彼の年齢と言動、ならびに行動を考えると、大きな「勘違い」をしているように思えます。それと同時に、それは、周りの大人たちが作り出し、彼に期待した結果のように思えてなりません。彼のスピリットにしてみれば、周りから「ちやほや」され、その周りが喜ぶような行動を取る事に喜びを感じていたはずです。また、周りが実力以上に評価し、本人もすっかり天狗になっていたようです。それが、ある日を境に、本当の実力を知らされ、だれもが急に手の平を返したように冷たくなり、バッシングの嵐に変わりました。「あなたが望むように行動しただけなのに・・・」彼の無念を見ているとそのような思いが伝わってきます。(金が絡んだ)世間の理不尽さが彼をどん底に突き落としたようです。
 そうは言っても、犯した事に対する責任は取る必要があります。ある意味で、これは彼にとって、地に足をついた生活を取り戻すチャンスであると思います。辛いと思いますが、それが真の力になると思いますので、心機一転精進して欲しいと願っています。これからの人生こそが、彼のスピリットに必要な学びのように感じます。

 温室で育った花は、世間の本当の辛さを知らない。
 なんとなれば、必要なものが全てそろい、暑さ寒さも無い。
 それが普通となり、知る全てとなる。
 ある日突然温室を出たとき、世間の暑さ・寒さを知り、
 足りる事のありがたさを知る。
 温室ゆえの実力ならば淘汰されるだろう。
 真の実力ならば世間の風の中でも通用するだろう。
 真実を知った時、試練の時が始まる。
 

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| ゆうじ | スピリチュアルな視点 | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
今日の学びは「感情」
 今日は上司とのやり取りの中で、「人のふり見て我がふり直せ。」と共に「感情」について学びました。この言葉の意味を広辞苑で引くと「他人の性行(日常の生活と行い)の善悪を見て、自分の性行を改めよ。」とあります。スピリチュアル的な観点で見ると、他人の行動において、気になる点は、自分が学び気づくべき点であります。また、他人の行動が自分の「怒り」に変わるようであれば、それは自分が持っている要素のひとつであり、改めるべき点になります。そして、何よりも、他人の行動にから得られる「感情」こそ、自分が気づくために必要不可欠な要素になります。
 今回の上司とのやり取りでは、とある展示会に出展するための装置を作成し、それを見せた際、色々といやみを言われた上に、一部やり直しをもらいました。心のどこかで、「あなたなら、あなたが言った通りはやらないだろうに」とか、「そこまで言わなくても良いのに」と反発していました。でも、同時に、(怠けた部分もあったので、)自分のどこかで、やはりその指摘は受けて当然かもという思いもありました。言動と行動の一致しない方は尊敬できませんが、やはり、自分自身にも改めるべき点があります。また、その上司の行動が「反面教師」となり、自分が取るべき理想の行動が見えて来ていました。そう考えると、(人間ですから)なかなか素直には納得できませんが、その感情が自分にとっての学びである事が理解でき、また、そのような「反面教師」を演じてくれている上司に「怒り」では無く、感謝の念が湧いてきました。
 スピリチュアルな学びはたくさんありますが、「感情」を知り、理解し、「感情」を止める事無く、また「感情」に流される事無くコントロールできるようになる事は重要な課題の一つだと感じています。そのために、人は実にさまざまな試練にチャレンジしなければなりません。でも、心のどこかで「学び」を意識するだけで、その課題を乗り越える事が容易になります。

 あなたが、学びを意識するならば、
 目に映る全ては先生になります。
 憧れや、うらやましさや、尊敬の念を感じたならば、そのような行動をとりなさい。
 最初はマネであっても、いつか自分自身の血肉になります。
 怒りや、軽蔑や、嫌悪の念を感じたならば、何があなたをそうさせているのか理解しなさい。
 それもあなたの学びです。
 そこに、あなたの中にもあり、あなたが気づきたくない点を見つける事ができるでしょう。
 出会いの全ては必然です。
 今あるネガティブな念を素直にポジティブに変えられるならば、
 その行動は感謝と慈しみに変わるでしょう。
 

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| ゆうじ | スピリチュアルな視点 | 21:31 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
心無い人の行動の訳と対処法
この世の中には、残念ながら「心無い人」が存在します。その方達の行動の原点は何なのでしょうか? また、そのような方と出会い、関わらなければならなくなった場合の対処方法はどうなのでしょうか? 心の中に問い合わせたら、次のような答えが返ってきました。
 でも、一つ付け加えなければならない事があります。それは、そのような方々と接する事も大事な学びだという事です。何となれば、だれもが、大なり小なりそのような行動を起こしやすく、決して他人事では無いからです。そして、意識的にそのような行動の癖から脱することが、この世で学ぶべき、重要な課題の一つであります。

 心無い人は寂しくてたまらない。
 それは、自らの心が閉ざされ、その全てを外に求めているから。
 独りでいると不安になり、他人を押しのけてでも、その心(愛)を得ようとする。
 ゆえに、あらん限りの力を使い、他人を支配しようとする。
 他人を支配するのは暴力だけにあらず。
 必要以上に弱さを見せて、虜にする事もある。
 相手を質問攻めにして、関心を得ることもある。
 また、無関心を装って逆にあなたの関心を集める事もある。
 その問題の深さは、当人の多くが無意識でそのようなを行動している点にある。
 されど、それらは全てゆがんだ愛情表現である。
 ゆえに、得られた心も長続きはしない。
 寂しさゆえに暴走し、時に他人の事などお構い無しに他人を支配しようとする。
 彼らを正常に導く手立ては、その異常行動に気づかせることである。
 彼らがその行動を意識した途端、理性と教養が作用を始める。
 もしくは、相手の望む以上の愛を送ることである。
 あなたが無尽蔵の愛に繋がっているならば、
 そのエネルギーは彼らの支配を超えて、彼ら自身を愛で満たし、
 彼ら自身の内なる愛をも引き出す事だろう。


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| ゆうじ | スピリチュアルな視点 | 00:22 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
某大手英会話学校崩壊から学ぶこと
 最近、巷を賑わしている某大手英会話学校。私も長らくお世話になっていましたので、とても関心があります。このニュースを見ていて思う事は、人が如何に純粋な気持ちで理想を掲げ続ける事が難しいかという事です。
 色々問題を起こしていましたが、本気で学ぼうとした時には、力になってくれるシステムになっていましたし、実際良い勉強をさせてもらいました。そういう意味では、当初の理想は間違っていなかったと思います。でも、会社が大きくなり、社会的な地位を得るに従い、いつしか、トップの慢心へ繋がり、またそれが堕落の引き金となったように感じます。会社のトップは自らの虚栄心を満たすべく会社を私物化し、会社が危なくなってからも、従業員の方々や学んでいる生徒さんでは無く、ただ自らの衣である会社を守ろうとしたようです。
 会社というのは、どれだけ大きくなったとしても、人が経営し、人が運営していくものである以上、一番の財産は人材だと思います。
 今回の件を人に例えるとすると、雪山で遭難し、まだ安全な場所に戻れる余力があるのにも関わらず、無理な行動をし続け手足が凍死し、どうしようも無くなってようやく救助されたようなものです。されど、手足は既に死に掛けており、体の機能も不全に陥っているので、助かったとしても、その代償は非常に大きなものになっています。
 スピリチュアルな視点からこの話をまとめると、人は常に支えあいながら生きています。大きな理想を掲げるとき、スピリチュアルな存在たちからもたくさんの支援がいただけます。でも、3次元社会で地位や名誉を得た時、その成功を自分だけの実力だと慢心し、支えていただいている方たちや、スピリチュアルな存在を無視したとすれば、いつしかその事に気づくように仕向けられます。それは、理想を掲げてみこしの上に乗り、たくさんの人に支えていただいて街中を縦横無尽に走り回れているのに、いつしかその支えている人たちを忘れ、目に余るような勝手な事をしたために、担ぎ手がやる気を失い、みこしがひっくり返ってしまう事に似ています。そして、それは私自身の肝に銘じていたい事でもあります。

 
 魂の世界では肉体という衣がありません。
 思いこそ全てです。
 純粋な希望に満ちた理想は光を集めます。
 されど、慢心を背負い自らのエゴにしがみつく魂は
 黒くすすけてきます。
 黒いゆえに周りが見えなくなります。

 3次元社会での地位や名誉は3次元世界だけのものです。
 あなた方の魂のふるさとでの地位や名誉とは全く無関係です。
 地位や名誉を得るとき、あなた方の行動はたくさんの方々の思いの中にあります。
 あなたを支えていただいている方達の感謝があなたを包むならば、
 あなたの魂はより高い波動を得るでしょう。
 もしも、たくさんの思いが悲しみや失望であるならば、その思いはあなた方の魂をも闇に引っ張ります。

 
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| ゆうじ | スピリチュアルな視点 | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
スピリチュアルコーナー
 先日、久しぶりに本屋に行き、スピリチャルコーナーを覗いてみました。個人的な感想ですが、ひところより、スピリチュアル系の本が充実してきているようです。でも、本を開いて内容を見てみると、著者の理解の度合いも様々である事が分かります。それは、まるで、小学一年生の教科書から大学院で使う教科書までが同じコーナーに置かれている感じです。
 今年の夏シャスタへ行き、ストーニーブルックインの弘美さんとお話させて頂いた際にも話題で出ましたが、自分自身がスピリチュアルに目覚め、理解が進むにつれて、同じ本を見ても得られる内容が異なり、明らかにレベル差ある場合、全て既知で得るものが無いもしくは、全く理解できない状態になります。それは、例えば、小学校5年生の生徒が、小学校1年生の教科書は簡単すぎ、逆に高校生の教科書は難しすぎて全然理解できないものです。
 ですから、本を選ぶのも重要な選択になりますし、まずは、心に響くものから読むことが大事です。あまり背伸びをしても、結局???という事もありえます。また、「○○○は×××」というように、非常に強気に書かれている本も、実は著者の理解度が低い場合もあります。結局大切なのは、自分の心の価値観を大事に育てることと、日々成長し、間違えたと気づいたら素直に直せる謙虚な心だと思います。

 あなたの理解が進むに連れて、
 あなたが求める心の情報も変わってきます。
 素直に求めなさい。
 そして、素直に感じたことを尊重しなさい。
 他人の意見があなたの意見と異なっていても。
 あなたに必要な学びの機会は
 あなた自身が決めることです。


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| ゆうじ | スピリチュアルな視点 | 06:18 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
むなしさを感じたならば
 今日は朝から、とある思い出が繰り返しよみがえって来ていた。それは、学生時代にコンビニでバイトしていた頃の事。その店は12時に閉店であり、その日の夜11時くらいには、当日賞味期限を迎える商品を集め、それを最後に帰る人が持っていって良い事になっていた。初めてのバイト経験で、当時はまだお金が無かったこともあり、菓子パンやシュークリームなどのお菓子類はなかなか腹いっぱい食べる機会が無かった。そこで、バイトを始めた当初は、喜んでたくさんもらっていったものだった。でも、ある日、一緒にバイトしていた仲間が一つだけ選び、その後にいつものようにたくさん持って行こうとした時、とてもむなしさを感じた。「もらえるからと言って、自分自身本当に欲しいと思っているのだろうか?たくさん食べれば体にも悪いだろうし・・・。」そこで感じたむなしさはまさに、自分自身の強力な気づきとなり、「足ることを知る。」という意味が実感として理解できた。
 今、思い返してみると、「むなしさ」はとても素直にスピリチュアルなメッセージを私達に投げかけてくれている事が分かる。なんとなれば、その感覚を頂いたとき、それは人生における学びの解を一つ得るからである。また、本来進むべき道でない事を示している事もある。ここで、注意すべき点として、むなしさを味わった経験が無駄と言うわけではない。実際に試し、味わったからこそ、実感として理解できるようになる。つまり、「むなしさ」は我々の心の奥から送られてくる「これで、分かったよね。」という合図なのである。そして、素直にこの合図に応えるのならば、(少々大げさに言えば)人生は新たな学びに向け進みだす。
 日を追うごとに宇宙からの光が強まっている昨今では、今までの生活や生き方にむなしさを感じる人が増えてくると思われる。その時こそ、心の奥から響いてくる声に耳を傾けてみると良い。一つの学びを終え、次の学びの扉が開く時なのかもしれないから。 

 ポジティブを理解するためにはネガティブを理解する必要があります。
 あなたがむなしさを感じたのならば、それはネガティブを理解したからです。
 まずはそのネガティブを受け入れなさい。
 その上で、ポジティブに対し心を広げて行きなさい。
 むなしさが分かるからこそ、真の喜びが理解できます。
 心のシグナルは常にあなたを最善の道へと導きます。
 あなたが心のシグナルを無視するならば、何度でもむなしさがあなたに問いかけてくれるでしょう。
 全てはあなたの決断に委ねられています。
  

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| ゆうじ | スピリチュアルな視点 | 01:07 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「アミ 小さな宇宙人」を読んで
 最近、直感に任せてライトワーカーの方々のブログを拝見していたら、「あみ 小さな宇宙人」エンリケ・バリオス著の紹介が載っていました。そこで、惹かれるものがあったので、早速本屋に行き、シリーズ3部作全て買ってきました。ちなみに残りのシリーズは「もどってきた アミ」「アミ3度目の約束」で、全て徳間書店から発行されている文庫本です。
 早速読んでみましたが、その薄さに反し、内容はとても濃いものでした。小説の中では、10才の主人公は、宇宙人アミとの交流記を「ファンタジー」として記していますが、その内容は正に真実だと言えます。日本の、そして地球の常識から考えるとありえませんが、心を開いた人から見ると、今学び、そして思い出しつつある内容がそのまま描かれています。読みながら、思わず、「そうだよね〜。」「そうなんだよね〜。」とうなずいていました。
 もう一つ読みながら感じたのは、この本を読んで感じた感想が、そのまま今の読者のスピリチュアルな理解度(学びの状況)を示しているという事です。それは、大学生が中学生の教科書を見れば、(たぶん)当たり前だと感じるでしょうし、小学生低学年の生徒が中学生の教科書を見れば、(たぶん)意味不明と感じることと同じことです。一ついえるのは、(スピリチュアルな観点での)結局誰もが通るであろう道の、ある到達点を教えてくれている本だという事です。
 ファンタジーとして読んでも面白いと思うので、まだ読まれていない方は是非読まれることをお勧めします。私は、シリーズ第二段の「もどってきた アミ」を読んでいこうと思います。読み終えたら、また感想を紹介させていただきます。

 愛に気づき、
 愛を広げ、
 愛を感じ、
 愛の導きに従いなさい。
 その先にあるのは、より純粋な愛です。
 それは、迷いながらも、
 人が歩む事を運命付けられた道です。


いつもいつも「ぽちっと」ご協力ありがとうございます。m(_ _)m
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| ゆうじ | スピリチュアルな視点 | 00:06 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
子供は純粋なスピリット
 今日は、会社のオータムイベントがあり、会社の方々が子供たちを連れてきていました。無邪気に騒いだり、人見知りする小学生以下の子供達を見ていると、大人と比較すると遙かに純粋なスピリットであることが分かります。今の世の中が定義する大人と比べると全然未完成ですが、頭の脳が未発達ゆえに、心の輝きが曇り少なく表現されています。
 だれもが、幼い頃はあのように純粋だったのに、成長するに連れ、この世界での信念体系を学び、それが良くも悪くも純粋な気持ちを曇らせてしまっている事を強く感じました。それはこの世界で生きていくためには必要な事だと思います。でも、それを理解した上で、もう一度純粋な気持ちを取り戻して、この世界との調和を図るようにすれば、どれだけ人生が豊かで有意義なものになるだろうと思わずにはいられません。
 一つ視点を変えてみると、科学はまだまだ不完全です。なぜならば、完全ならば研究することは無いし、科学で説明できない事など無いはずです。でも、実際には、この世の中の事を科学はほんの少ししか教えてくれません。そんな不完全な科学でスピリチュアルな世界や、愛のあり方の全てを説明しようとすることに無理があります。科学はまだ十分な真実を解き明かしては無いのです。純粋な心を取り戻すという事は、不完全な科学的視点から、自分自身を取り戻す事でもあります。

 あなたは、あなたの心の奥深い所では既にこの世のあり方を知っています。
 ただ、それを実感として学ぶためにここにいるのです。
 それは、理屈では不十分です。
 ゆえにまず感じることが大切です。
 あなたの見ているものは、あなたの信念体系の上に成り立っています。
 あなたの目の前の本当の姿を知るためには、あなたの心をまっさらにする必要があります。
 何も無いところに描かれたイメージを純粋に感じ取りなさい。
 それが、真実に辿り着く近道です。


P.S.
昨日のブログ情報を読み直したらタイトルが間違っていました。正しくは、徳間書店発行の「アミ 小さな宇宙人」でした。ここに訂正させて頂きます。

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| ゆうじ | スピリチュアルな視点 | 08:58 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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