2007.09.19 Wednesday
怒りも学び
今日、とある事で同僚と言い争いになり、自分の中で久しぶりに「怒り」の感覚を感じました。でも、今までと違うところは、「何故、怒りを感じているのだろう?」と冷静に分析を試みようとした事でした。
同僚には同僚の信念があり、私には私の信念がありました。そして、私の怒りの元は、「あなたがこう言ったから、そうしたのに、手のひらを返したような意見はどういう事?」っていうところから来ていました。これは、主体的に見れば正しそうですが、もう一歩自分を客観的に見たとき、他人の意見を(納得の上)自分の意見にまでできていないのに、分かった気になって推し進めていた事が分かりました。
ここで大切なのは、誰のせいでは無く、どのように答えを導くかでした。その一番大事なポイントを忘れ、安易に同僚の意見を借用したのは、自分の心の甘えでした。そしてそれが自分の弱点でありながら、それを認めたがらない心の反発が「怒り」として表面化したのが分かりました。
「これも大事な学びなんだ!」と分かると同時に、怒りは乗り越えるべき試練に変わり、そのような憎まれ役になってくれた同僚に感謝の念が湧いてきました。多分、彼女は、誰構わずあのような態度を取り、たくさんの反発をもらっている事でしょう。それはそれで彼女の未来を曇らせ、けっしてプラスには働かないでしょう。それでも、彼女がいたからこそ、今回の学びが得られたと思うと、人生の奥深さを感じました。
同時に、誰もコントロールする事無く、物事を上手く進めて行くコツが浮かんできました。その一番のエッセンスは「流れを作ること。」これについては、また後日詳しく説明したいと思います。
学ぼうとする心があれば、
それはいつでもできます。
この世に様々な人がいて、
様々な思いがある限り、
たくさんの学びを同時に得られます。
大切なのは、主体的な視点と客観的な視点を同時に持つことです。
気に食わない人は、あなたの弱点を教えてくれています。
それを乗り越えたとき、彼らはあなたの意識から消え去る(意識する必要が無くなる)でしょう。
同僚には同僚の信念があり、私には私の信念がありました。そして、私の怒りの元は、「あなたがこう言ったから、そうしたのに、手のひらを返したような意見はどういう事?」っていうところから来ていました。これは、主体的に見れば正しそうですが、もう一歩自分を客観的に見たとき、他人の意見を(納得の上)自分の意見にまでできていないのに、分かった気になって推し進めていた事が分かりました。
ここで大切なのは、誰のせいでは無く、どのように答えを導くかでした。その一番大事なポイントを忘れ、安易に同僚の意見を借用したのは、自分の心の甘えでした。そしてそれが自分の弱点でありながら、それを認めたがらない心の反発が「怒り」として表面化したのが分かりました。
「これも大事な学びなんだ!」と分かると同時に、怒りは乗り越えるべき試練に変わり、そのような憎まれ役になってくれた同僚に感謝の念が湧いてきました。多分、彼女は、誰構わずあのような態度を取り、たくさんの反発をもらっている事でしょう。それはそれで彼女の未来を曇らせ、けっしてプラスには働かないでしょう。それでも、彼女がいたからこそ、今回の学びが得られたと思うと、人生の奥深さを感じました。
同時に、誰もコントロールする事無く、物事を上手く進めて行くコツが浮かんできました。その一番のエッセンスは「流れを作ること。」これについては、また後日詳しく説明したいと思います。
学ぼうとする心があれば、
それはいつでもできます。
この世に様々な人がいて、
様々な思いがある限り、
たくさんの学びを同時に得られます。
大切なのは、主体的な視点と客観的な視点を同時に持つことです。
気に食わない人は、あなたの弱点を教えてくれています。
それを乗り越えたとき、彼らはあなたの意識から消え去る(意識する必要が無くなる)でしょう。