2008.08.03 Sunday
スピリチュアルな挨拶回り 高野山編2
〜前回からの続き〜
夕方4時前くらいだったので、奥の院から戻ると、まずは本日の宿泊先である西禅院に向かった。高野山にはたくさんの宿坊があるが、その中の一つであり。壇上伽藍のすぐ側なので、観光するには便利な場所にある(とはいっても、高野山全体が歩けるほどの広さであるので、気持ちの問題なのかもしれぬが・・・。)また、専用の駐車場があるので、マイカーの場合は重宝する。
標高1000m近いところにあるからだと思われるが、窓を開けていれば、(実際エアコン無しの部屋であったが、)エアコン無しでも何とかなるかなくらいの気温であった。宿坊の夜は早く、確か17時過ぎには夕食であった。宿坊と言えば精進料理。今回、これが食べたくて宿坊宿泊にしたところもあったが、美味しく頂けた。波動の高い場所で、このような食事を取ると、自然と自分自身の波動も上がるのだと思う。そして、それが高野山の魅力の一つになっているのだと感じた。
ところで、今回ここで話を聞いて納得したが、高野山の辺りを地図で確認すると、街の地名は高野町である。そして、周辺を見渡してみても、"高野山"なる山は存在しない。では、高野山とは何の事であろうか?この答えは、お寺の山号である。広辞苑で調べると次のように書いてある。
「寺院の名に冠する称号。もと、寺院は多く山にあり、その山の名をもって呼ばれた。日本には禅宗と共に中国より山号の制が伝えられ、のち平地の寺院にも波及した。霊亀山(天竜寺)・比叡山(延暦寺)・金竜山(浅草寺)の類。」
とある。だから、弘法大師空海さんを祖とするお寺の山号がそのまま、地名のように使われているのである。
さて、案内された部屋に入ると、2冊の本が置かれているのに気づいた。一冊は金剛峰寺(朝日ビジュアルシリーズ仏教新発見08)であり、もう一冊は高野山(小学館週刊古寺をゆく)であった。両方とも、まるで"読みなさい"と置かれているようであった。この宿坊のこの部屋に泊まる事が無ければ、決して手にする事が無かったかもしれぬ本である。「今夜の課題かな〜?」と思いつつ、夜やる事も無かったので、寝るまでの間におおよそ読みきった。おかげさまで、高野山と弘法大師空海さんの理解を深める事ができた。また、同時に、私の大好きな名古屋にある大須観音さん(智山派)が、弘法大師空海さんとどのような関係にあるかも理解できた。複雑なのでここでの紹介は割愛するが、今まで曖昧であった色々な繋がりが理解でき、「だから呼んで頂いたんだ!」という事を実感し、ただ感謝であった。
〜つづく〜
縁は光の繋がりであり、
目には見えぬとも、その繋がりがあればお互いに引き寄せ合う。
それは、新たに結ばれる事もあり、
意図的に切られる事もある。
されど、それはあなた方の世界の法律とは異なる次元の繋がりであり、
その次元の繋がりを意識せねば、つなげる事はできても切る事は容易ならぬ。
そこには、常に学びの要素があり、
互いに磨きあうために繋がりを持つ。
光の繋がりゆえに、波動が異なれば、その繋がりも変化してゆく。
精妙なる波動と縁を持ちたければ、自らも精妙なる波動を持つ必要がある。
波動が異なり過ぎれば、その繋がりを維持する事は容易ならず。
自らの波動を高める事が求められるのは、より高次の存在との縁を持ちやすくするためなり。
自らの波動を落とせば、おのずと低次の存在とのコンタクトを増やす事になるであろう。
皆さんの応援が力になります。下記「クリック」ご協力ありがとうございます。m(_ _)m
皆さんに、愛と光の加護がありますように。そして、内なる叡知に導かれますように。
夕方4時前くらいだったので、奥の院から戻ると、まずは本日の宿泊先である西禅院に向かった。高野山にはたくさんの宿坊があるが、その中の一つであり。壇上伽藍のすぐ側なので、観光するには便利な場所にある(とはいっても、高野山全体が歩けるほどの広さであるので、気持ちの問題なのかもしれぬが・・・。)また、専用の駐車場があるので、マイカーの場合は重宝する。
標高1000m近いところにあるからだと思われるが、窓を開けていれば、(実際エアコン無しの部屋であったが、)エアコン無しでも何とかなるかなくらいの気温であった。宿坊の夜は早く、確か17時過ぎには夕食であった。宿坊と言えば精進料理。今回、これが食べたくて宿坊宿泊にしたところもあったが、美味しく頂けた。波動の高い場所で、このような食事を取ると、自然と自分自身の波動も上がるのだと思う。そして、それが高野山の魅力の一つになっているのだと感じた。
ところで、今回ここで話を聞いて納得したが、高野山の辺りを地図で確認すると、街の地名は高野町である。そして、周辺を見渡してみても、"高野山"なる山は存在しない。では、高野山とは何の事であろうか?この答えは、お寺の山号である。広辞苑で調べると次のように書いてある。
「寺院の名に冠する称号。もと、寺院は多く山にあり、その山の名をもって呼ばれた。日本には禅宗と共に中国より山号の制が伝えられ、のち平地の寺院にも波及した。霊亀山(天竜寺)・比叡山(延暦寺)・金竜山(浅草寺)の類。」
とある。だから、弘法大師空海さんを祖とするお寺の山号がそのまま、地名のように使われているのである。
さて、案内された部屋に入ると、2冊の本が置かれているのに気づいた。一冊は金剛峰寺(朝日ビジュアルシリーズ仏教新発見08)であり、もう一冊は高野山(小学館週刊古寺をゆく)であった。両方とも、まるで"読みなさい"と置かれているようであった。この宿坊のこの部屋に泊まる事が無ければ、決して手にする事が無かったかもしれぬ本である。「今夜の課題かな〜?」と思いつつ、夜やる事も無かったので、寝るまでの間におおよそ読みきった。おかげさまで、高野山と弘法大師空海さんの理解を深める事ができた。また、同時に、私の大好きな名古屋にある大須観音さん(智山派)が、弘法大師空海さんとどのような関係にあるかも理解できた。複雑なのでここでの紹介は割愛するが、今まで曖昧であった色々な繋がりが理解でき、「だから呼んで頂いたんだ!」という事を実感し、ただ感謝であった。
〜つづく〜
縁は光の繋がりであり、
目には見えぬとも、その繋がりがあればお互いに引き寄せ合う。
それは、新たに結ばれる事もあり、
意図的に切られる事もある。
されど、それはあなた方の世界の法律とは異なる次元の繋がりであり、
その次元の繋がりを意識せねば、つなげる事はできても切る事は容易ならぬ。
そこには、常に学びの要素があり、
互いに磨きあうために繋がりを持つ。
光の繋がりゆえに、波動が異なれば、その繋がりも変化してゆく。
精妙なる波動と縁を持ちたければ、自らも精妙なる波動を持つ必要がある。
波動が異なり過ぎれば、その繋がりを維持する事は容易ならず。
自らの波動を高める事が求められるのは、より高次の存在との縁を持ちやすくするためなり。
自らの波動を落とせば、おのずと低次の存在とのコンタクトを増やす事になるであろう。
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皆さんに、愛と光の加護がありますように。そして、内なる叡知に導かれますように。
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