2008.08.06 Wednesday
スピリチュアルな挨拶回り 高野山編3
〜前回からの続き〜
宿坊の朝は早い。確か、6時半から朝のおつとめが始まったように思う。お経があげられ、焼香を済ませた後、副住職の方のお話があった。時々講演をされているという副住職さんの話は、示唆に富んでいて面白かった。その中でも興味深かったのは、高野山という場が、長きにわたり、日本の学園都市としての機能を果たし、また上下水道においては、日本の最先端にいたという点である。これは、まさに弘法大師空海さんの精神が長きに渡り受け継がれてきた事を意味しているように思える。今と異なり、中世においては、知識が豊富で、加持祈祷のできる僧侶は政事の世界でも活躍していたと聞く。それは、高野山開山の請願にもあった、「鎮護国家のための人材を育てたい。」という意思の現れであるように思える。
世界遺産に指定されている高野山であるが、歴史上、フランスを通じてヨーロッパに紹介されたようで、今でも海外のお客さんの中では、フランスからの方々が一番多いそうである。実際、フランスからかどうかは確かめようが無いが、街を散策していると、たくさんの西洋系の方々に出会う。そのような姿を見ていると、高野山は、世界に開かれた日本の聖地なのかな?と感じられてならない。
副住職さんの話によると、高野山にいると時間の流れる感覚が下界と異なるそうである。そして、そのような感覚が気にいり、リピーターとなられる方々が多々いるという。中には海外から年に何度も訪れるお客さんもいるという。そして、実際そのような現象が、たくさんの学生さんに協力を頂いた実験を通じて、科学的にも証明されつつあるようである。
さて、そんな高野山を朝食後に散策に出かけた。金剛峰寺→霊宝館→大門と歩いたが、大門の脇に"弁財天"と書かれていた鳥居が目に留まった。今回の旅で弁財天さんとの縁を強く感じるようになっていたので、とりあえず上がってみる事にした。地図を確認せずに登り始めたのが問題であったが、直ぐに社に辿り付けるだろうという考えは甘く、登っても登っても社は見えなかった。それでも急な坂を登る事20分ほど。ようやく目的の社にたどり着く事ができた。結局、社は弁財岳(985m)の山頂にあった。ここには、弘法大師空海さんの用いた宝珠が埋められていると言われてる。
実際のところ、高野山は密教の一大聖地であるが、神社も相当数ある。私の見たところ、その多くが弁財天と狩場明神と丹生明神であった。いずれも、弘法大師空海さんと深い縁のある存在たちである。そして、弁財天といえば、中国・唐から帰国後、高野山を開く前に天河神社で修行していたと伝えられており、中国・唐から持ち帰った密教の法具"五鈷鈴(ごこれい)"などの遺品が、天河神社に伝わっているという。
そんな深い縁を感じつつ、感謝と共に、社にて祝詞を奏上し、その場を後にした。来た道を戻るのもつまらないので、帰りは女人堂経由で戻った。予想外に時間を掛けてしまったが、何か充実感を感じていた。その後、手短に壇上伽藍を見学すると、車に戻り、今日のもう一つのハイライトになる、熊野本宮大社を目指す事にした。
〜つづく〜
来るべき未来に備えるのでは無い。
今という場から未来を眺め、その方向に向かうのである。
それは、未来のために生きるので無く、
今を充実させる方向に未来があるという事である。
未来は常に未来であり、今は永遠に今である。
時空は変化しても、その意味するところは変わらない。
何となれば、
だれもこの世界において、時空を止める事はできないからである。
ゆえに、あなた方に固定された未来は存在しない。
同時に、それはあなた方の心のありようで常に変化し続ける。
今を輝かせるがゆえに、
未来も輝きに照らされるのである。
皆さんの応援が力になります。下記「クリック」ご協力ありがとうございます。m(_ _)m
皆さんに、愛と光の加護がありますように。そして、内なる叡知に導かれますように。
宿坊の朝は早い。確か、6時半から朝のおつとめが始まったように思う。お経があげられ、焼香を済ませた後、副住職の方のお話があった。時々講演をされているという副住職さんの話は、示唆に富んでいて面白かった。その中でも興味深かったのは、高野山という場が、長きにわたり、日本の学園都市としての機能を果たし、また上下水道においては、日本の最先端にいたという点である。これは、まさに弘法大師空海さんの精神が長きに渡り受け継がれてきた事を意味しているように思える。今と異なり、中世においては、知識が豊富で、加持祈祷のできる僧侶は政事の世界でも活躍していたと聞く。それは、高野山開山の請願にもあった、「鎮護国家のための人材を育てたい。」という意思の現れであるように思える。
世界遺産に指定されている高野山であるが、歴史上、フランスを通じてヨーロッパに紹介されたようで、今でも海外のお客さんの中では、フランスからの方々が一番多いそうである。実際、フランスからかどうかは確かめようが無いが、街を散策していると、たくさんの西洋系の方々に出会う。そのような姿を見ていると、高野山は、世界に開かれた日本の聖地なのかな?と感じられてならない。
副住職さんの話によると、高野山にいると時間の流れる感覚が下界と異なるそうである。そして、そのような感覚が気にいり、リピーターとなられる方々が多々いるという。中には海外から年に何度も訪れるお客さんもいるという。そして、実際そのような現象が、たくさんの学生さんに協力を頂いた実験を通じて、科学的にも証明されつつあるようである。
さて、そんな高野山を朝食後に散策に出かけた。金剛峰寺→霊宝館→大門と歩いたが、大門の脇に"弁財天"と書かれていた鳥居が目に留まった。今回の旅で弁財天さんとの縁を強く感じるようになっていたので、とりあえず上がってみる事にした。地図を確認せずに登り始めたのが問題であったが、直ぐに社に辿り付けるだろうという考えは甘く、登っても登っても社は見えなかった。それでも急な坂を登る事20分ほど。ようやく目的の社にたどり着く事ができた。結局、社は弁財岳(985m)の山頂にあった。ここには、弘法大師空海さんの用いた宝珠が埋められていると言われてる。
実際のところ、高野山は密教の一大聖地であるが、神社も相当数ある。私の見たところ、その多くが弁財天と狩場明神と丹生明神であった。いずれも、弘法大師空海さんと深い縁のある存在たちである。そして、弁財天といえば、中国・唐から帰国後、高野山を開く前に天河神社で修行していたと伝えられており、中国・唐から持ち帰った密教の法具"五鈷鈴(ごこれい)"などの遺品が、天河神社に伝わっているという。
そんな深い縁を感じつつ、感謝と共に、社にて祝詞を奏上し、その場を後にした。来た道を戻るのもつまらないので、帰りは女人堂経由で戻った。予想外に時間を掛けてしまったが、何か充実感を感じていた。その後、手短に壇上伽藍を見学すると、車に戻り、今日のもう一つのハイライトになる、熊野本宮大社を目指す事にした。
〜つづく〜
来るべき未来に備えるのでは無い。
今という場から未来を眺め、その方向に向かうのである。
それは、未来のために生きるので無く、
今を充実させる方向に未来があるという事である。
未来は常に未来であり、今は永遠に今である。
時空は変化しても、その意味するところは変わらない。
何となれば、
だれもこの世界において、時空を止める事はできないからである。
ゆえに、あなた方に固定された未来は存在しない。
同時に、それはあなた方の心のありようで常に変化し続ける。
今を輝かせるがゆえに、
未来も輝きに照らされるのである。
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皆さんに、愛と光の加護がありますように。そして、内なる叡知に導かれますように。
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